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「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」

「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」
東京都現代美術館


10年前ぐらいに石岡瑛子さんのドキュメンタリー番組を見て、こんな女性がいるのかと驚いたと同時にむちゃくちゃ憧れた自分がいました。強い女、自立した女、国境をものともしない女が好き。


その番組で石岡さんがどんなところからインスピレーションを受けるかっていう質問に対して"自然や動物の中にある美から閃くことが多い。よくアメリカ自然史博物館に行く。"ということをおっしゃってて、なるほど!かっこいい!と思い、わたしも真似をしてNYに行く時は必ずそこに行って動物の剥製や骨や標本やあれやこれや見て回るのを習慣化してました。5年前、心が死んでる時にどっか行かなきゃ…と思ってなぜかあったかい国じゃなくて極寒の冬のNYに行った時も自然史博物館でおっとっとをバリバリ食べながらぼーっと剥製を見ていました。なにか閃いたかと言われたら、何も閃いてない(笑)でも、生き物の成り立ち、構造というのは美しいとしみじみ感じるし、なにより石岡瑛子さんのその言葉になぜかものづくりの根元的なとても大切なことを感じていて、未だにことあるごとに思い出しては自然や生き物の美に立ち返ることがある。


そんなわけで、ものづくりをしてる人はだれしも石岡瑛子さんのなにかしらに感化されるんじゃないだろうかというぐらい、彼女の作るものはもちろん、思想や姿勢や生き様にはっとさせられること山のごとし。


今回展示空間に延々と彼女の生の声でものづくりに対しての考えがBGM的に流れてるんやけど、その内容があまりにも正論だし金言だらけなんやけど、もう圧がすごすぎて(笑)、比べて自分のしょうもなさにがっくりしてしまった(笑)


ここまでエネルギーを絶やすことなく燃やし続けられる原動力はなんなのか?野菜か?愛か?筋トレか?と不思議になるくらいの熱量で生きていかれて、情熱的なものづくりをするためには生活自体をドラマチックにしていくことも大切なんだろうなと思った。彼女の人生の選択肢には普通の人なら候補にあげもしない、不可能だと思われるようなレベルのことが普通にあったりする。運命は自分で切り開いていくというのを体現した人だと思った。


展示を見に行くにあたって直前に改めて、「落下の王国」と「ドラキュラ」と「白雪姫と鏡の女王」を見てから行ったのですが、3つとも衣装が主役の映画だと言っても過言じゃないと思うのだけど、俳優が誰だから~とか監督か誰だから~で映画って見られがちだけど、「衣装が石岡瑛子だから」って切り口、他の映画になかなかないし、なんかこう「見たこともない世界」っていいもんだなぁと改めて思いました。これ簡単に言葉にしてしまうのが躊躇われるぐらい死ぬほど難しいことではあるけど。


「よくある。どこかで見たことがある。何かに似ている。」これら絶対に言われたくないワードなのだけど、どうしたらこれをクリアできるかって、もう過去に天才たちが数々の素晴らしい創作物を産み尽くしているわけで、0からなにかを生み出すことなんて今からそう簡単にできることではない。

だから先代が作ったものをベースに、自分らしさを加えて加えて加えて改良していくわけなのだけど、1つだけ「過去の天才」でとっておきな奴がいる。
それが「神様」で、神様が産み出したのは自然や生き物ということになる。
石岡瑛子は過去の偉人の誰でもなく、神様にリスペクトしたものづくりをしていたからこそ純度の高いオリジナリティが産み出せたんだと思う。


"文化は自然に恵まれたところでは生まれない。砂漠のようになにもないところにオアシスのようなものをもとめてエキサイティングな文化が生まれる。"というような言葉がBGMで流れていたけど、ほんとにその通りだと思った。「無」の渇きをものづくりの力でおもしろく美しく潤わせていくこと。これがわたしも人生で一度でもできたらいいな。


あと、"予算と品質は深い関係にある、私のギャラはだれが決めるの?制作費要確認"みたいなメモ書き(うろ覚えです)もあって、石岡さんは正常だと思ったし、真似すべき点がたくさん見つかったのも良かった。


女性だから、男性だからみたいな評価のされ方がもうこれからはされないような時代になってくるけど、石岡さんみたいな人がいてくれたから今があるんだと思う。ものづくりの姿勢はもちろん、女性が主だって仕事をするということをごりごりに切り開いてくださったこと、ほんとにありがたいなぁと思いました。かっこいい女。


ちなみに日本で公開されなかった伝説の映画『ミシマ―ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』 はいつかどこかで見たいなぁ!!!!!ってめちゃくちゃ思いました。


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