見出し画像

ありがとう、大好き、ごめんね、また会おう

とろちゃんが我が家にやってきて、ぽんちゃんも遊び相手が出来てとっても嬉しそう。

画像2

生まれたばかりを保護されたとろちゃん(保護名コマ)、初めて会ったときもそれはそれは小さくて、手のひらに収まっちゃうんじゃないかってくらいで。2020年のGWあたりに生まれたであろうとのことで5月5日生まれにしたとろちゃんがうちにやってきたのは、7月1日でした。

猫は、その場所に住み着くといいます。いきなり知らない家にやってきてどんな反応を見せるのか……とそわそわした気持ちを返してほしいくらい、とろちゃんは我が家に降り立つやいなや堂々たる風格で鬼マイペースを炸裂し、シャーシャーゆってるお兄もなんのその、すぐに我が家に馴染んでくれたのでした。

とろちゃんは最初から体が小さめで、よく鼻水を出していました。病院にも何度通ったか分かりません。点眼・点鼻をこまめにやらねばだったのですが、いかんせん普段おとなしいとろちゃんも薬と爪切りは本当にダメで。暴れん坊将軍炸裂!

また、マイペースな性格ゆえあまり気にしていなかったのですが、めったに走らなくてのんび〜りしていました。運動神経が悪くてそれもまたかわいい!と愛でまくっていたのですが、なんだか体が震えているように感じるときがありました。ただ、猫と暮らすのが久しぶりの我が家。病院の先生に相談しつつも、いまのところ異変は見当たらないとのことで様子見しつつ成長を見守っていました。

画像3

年が明けて2021年。とろちゃんも8ヶ月ということで、そろそろ避妊手術をしなければいけません。ぽんちゃんは6ヶ月の時に去勢手術をしたので妊娠の心配はありませんが、後々の病気のリスクや発情期のことを踏まえ、手術は行うつもりでいたものの、なかなか体重が2kg以上になりません。病院の先生とももう少し大きくなるまでまとうか、地味な猫風邪落ち着いてからにしようか等タイミングを見送ってきましたが、事前検査もして、まあ大丈夫でしょうと。

お世話になっている動物病院の避妊手術は一泊二日。そのため、1月23日の土曜日にとろちゃんを預けに行き、翌日24日にお迎えに行く段取りにしました。24日はとろちゃんを溺愛する夫の誕生日。夜は近所の素敵な寿司屋におまかせコースを予約してあったので、ぽんちゃんととろちゃんと過ごす最高の誕生日になる予定でした。

画像4

とろちゃんを午前中に病院へ預けにいき(朝ごはんは食べたらダメなので、ぽんちゃんの食べてる姿を見ないよう隔離。とろちゃんは食への執念がすさまじいので)、散歩しながら帰り道の美味しいビストロでランチコースを食べました。昼からワインも飲んじゃって、家についたらこたつでぬくぬくしながらまどろみタイム。こんな最高な冬の過ごし方ありますか?

夢との境界線をいったりきたりしていたとき、夫の携帯電話が鳴りました。しばらく話していたら急に声色が変わり、ただならない様子。普段家の中の仕事部屋で向かい合わせで各々テレワークをしていることもあり、口調で大体何の話をしているのか察することが出来るのですが、今回はすぐ「誰かに何かあった」と思いました。

私達夫婦はいまは東京に住んでいますが、実家はそれぞれ私は三重県、夫は大阪府で、2020年に入って以降、悲しいかな一度も帰省していません。ニュースや周りの人達からも、今の状況下での冠婚葬祭をどうするかという話はよく聞いていましたし、夫が重々しい雰囲気で話している向かいで、私は翌日の寿司のキャンセルと来週の予定を確認しようと淡々と考えていました。

でも、夫が言った一言は、私のそんな予想をはるばると飛び越えてきました。

「とろちゃん、亡くなったって」

あまりにびっくりしすぎて、時間も、自分の息も止まったように思いました。めちゃくちゃ失礼ながら、「(夫の)とうちゃん亡くなった」と聞こえて、しばらく会話が噛み合わなかったほど、「とろちゃん」と「亡くなる」というワードが結びつきませんでした。つい数時間前まで、この家で、あったかい体で、呼吸していたとろちゃんが? まだ、この世に生を受けて8ヶ月しか経っていないとろちゃんが? とってもマイペースでかわいくって、うちのアイドルだったとろちゃんが?

動悸が収まらないままタクシーに飛び乗り病院へ。そこには、白い箱の中で横たわるとろちゃんがいました。まだほんのりあったかくて、お腹には手術後の痛々しい跡がありました。病室に入るやいなや、文字通り夫婦で泣き崩れ過呼吸寸前。結婚して8年、夫があそこまで取り乱して泣いている姿を初めて見ました。(本人曰く、人生で一番泣いたそう)

あまりにも突然すぎて、一体何をどうしたらいいのかわからない私達ふたり。病院の先生にも、手術との因果をエコー等含め確認しながら説明してもらいましたが頭が理解を拒絶しているというか。猫の避妊手術は全身麻酔をして行われるのですが、無事に手術終了後、麻酔から目覚めたと思ったらすこし暴れるような動きをして、そのまま心臓が止まっていたそうです。気遣い女将のとろちゃんだったけど、何から何まで早すぎる。

頭が全く回らず、一度出直すことにした私達。家に帰り、ふたりでこのあとのあれこれを話しました。ペットセレモニーはあとで考えるとして、まず、今夜どう過ごすか。お迎えに行って、家で通夜をすることになります。

白黒のモノトーンスタイルがおしゃれだったとろちゃん。どんな花も似合うよなあ……なんてしみじみしながら、とろちゃんのお迎え前にキャンドルとたくさんの花を買っていくことにしました。緊急事態宣言下で花屋も早めに閉まる店が多い中、ユニクロの花屋は遅くまでやっていてよかった! 軒先であれもこれもと花を買いまくります。泣きはらしたパンパンの目で、鬼気迫る表情で大量の花を買う男女二人の姿はどう映ったんでしょう……。

画像5

家に帰ってきてとろちゃんを花で囲みました。どんな花も似合っちゃうとろちゃん。体は冷たく、固くなり始めていました。

ぽんちゃんはいつもわたしの上で(調子いいときはお腹の上で寝るのでこちとら体バキバキ)寝るのですが、とろちゃんはソロで寝ることが多く、ダイニングの椅子のクッションのところで寝るのがお気に入りだったようです。あとはカービィのベッド。「とろちゃんはソロ活動派だから、家族みんなで一緒に寝ることはないかな〜」なんて言っていたのに、この日、はじめてみんな一緒のベッドで寝ました。ぽんちゃんが何度も何度もとろちゃんの顔をなめていました。兄貴、泣かせるんじゃない……!

通夜をしながら、とろちゃんの保護主さんとも連絡しあい、翌日の夫の誕生日に、ペットセレモニーでとろちゃんの火葬をお願いすることになりました。なにからなにまでフォロー頂きまくり、本当に頭が上がりません。保護猫を迎え入れるのは、猫だけじゃなくてたくさんの人とのつながりができるのもおすすめポイントかも。いつも本当〜〜〜にお世話になっています。

泣きすぎて頭が痛くなってきて夜中何度も目が冷めてとろちゃんをなでて……を繰り返して24日の朝を迎えました。あと数時間でとろちゃんの肉体がこの世から亡くなるなんて信じられない。火葬を見送るのも、お骨上げも絶対できない!と、会場に行くのさえどうしようかと思っていました。(夫はこの目で見送りたいと行く気満々、しんどかったら無理しないようにと言ってくれていました)

でも、友人や保護主さんらと話して少しずつ、本当に少しずつですが現状を受け入れられるような感覚もありました。どっちみちつらいのには変わりないので、きちんと最期を見届けようと、とろちゃんを抱えて会場へ。火葬が始まる瞬間はもうなんと言ったらいいのかわからない複雑な気持ちでしたが、1時間ほどして骨の姿になったとろちゃんの姿を見て、思わず泣きながら笑ってしまいました。

とろちゃんって、いつもしっぽがぴーんと立っていたんです。小さい体の割にしっぽが太く、いつもまっすぐ立っていてそれがまた可愛かったのですが、骨になったとろちゃんのしっぽはこれでもか!とまっすぐでした。ああ、とろちゃんは最期までとろちゃんだ、と穏やかな気持ちで夫婦ふたりで骨を全部骨壷に納めることができました。

もともと軽かったので、骨壷に入ってもあまり重さの変化を感じず、不思議な感覚で帰路につきました。とろちゃんの帰宅をぽんちゃんが迎え入れてくれます(と、思いたい)。そしてバタバタで&そんな気分になれなくて昨晩からほぼ何も食べていなかった私達ですが、そう、この日は夫の誕生日です。結局、寿司は予定通りお邪魔することにしました。名店が徒歩3分でよかった……。

夫がおもむろにカウンターにとろちゃんの写真を置きました。一瞬何事!?と思いましたが、今日は大目に見てほしい。とろちゃん、ここでまさかの寿司屋のカウンターデビューです。さすが江戸っ子、粋だねえ!

はたから見たら何あの客?(カウンターの写真見ながら泣いてる)状態なので、お店の人も声をかけてくれます。しかもカウンター6席とかの、家族でやっている小さな店なので、そりゃ避けては通れない。とろちゃんのことを話すと、去年寿司屋の家族でも愛犬を亡くしたそうでお互いしんみり。そしてとろちゃんに、寿司のフルコースを出してくたのです。厳禁だったねぎも日本酒もなんのその!とろちゃん、いい女だね。

画像1

とろちゃんは生魚が大好きで、刺し身の切れ端をちょっとだけあげるといつも猟奇的な喜びようを見せていました。こんなとんでもないフルコース食べたらもうカリカリには戻れないでしょう。うにもあんこうも食べてた。

===

一応病院の先生と保護主さん(家族ぐるみで保護活動をしていて、お姉さんが獣医さんで本人も動物病院で働いている、猫を愛し猫に愛されている家族)と話した中では、とろちゃんは脳の疾患だったのでは、という見立てです。

成長が遅い、たまに震える、ほとんど走らないなど振り返るとそうだったのかもというサインはありました。亡くなる数日前は、家の中の階段をあがってきませんでした。

脳の疾患は事前に見つけるのが非常に困難なため、誰しも予想し得なかったことですが、やりきれないですね……。

===

我が家に来てくれてありがとう
これまでもこれからも大好き
最後ひとりでいかせちゃってごめんね
絶対にまた会おうね

そして、今度も家族になろうね🐈

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?