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幸せになりたいと思っていたけど、既に幸せだった人生

近所に住む80歳の北島おじいちゃん。畑の野菜を分けてくれたり、田舎暮らしの工夫を教えてくれたりする、世話好きの優しいおじいちゃん。

ガハハと笑いながら「ここの集落は年寄りばっかりだから、びっこ引いてた(足をひきずって歩いてた)と思ったら、いつの間にか亡くなってたりするんだ!」なんて言ってくる。

戦争を経験したお年寄りの方に会うと驚くことが多い。本当に辛い経験をしてきた筈なのに、そう感じさせないくらい、みんな優しく穏やか。今の時代には少ない「温かさ」を感じる。

そんな北島さんと世間話をしていた時に聞いた言葉が忘れられない。

「俺たちは自分の子供に"寒い"と"腹すいた"を言わせないように育ててきた。」

「寒い」と「お腹空いた」、自分の人生を振り返ると、どちらの言葉も言ったことはあるけれど、死にそうになるくらいまでの状況にはなったことがない。

でもフィリピン出身の母はこの言葉を伝えると、想像以上に申し訳なさそうに「ごめんね、これで買ってきてね。」とお金を渡してくれたり、自分を後回しにして、優先してくれた記憶がある。部屋の灯油とか、食事とか。

大人になってからも、貧乏時代を過ごした記憶はあるけど、なんだかんだで大人になってからは極限の「寒い」も「お腹すいた」も言っていない気がする。

本当に苦しい時は猫の餌を購入する為に、柿ピー生活をした時期もあったけど、自分の生活を貧乏だと思う気持ちもいつの間にか無くなって、気づけば不便を感じないくらいには生活できるようになった。

でもそれは金銭的に豊かになったとかの理由ではなく、優先順位がこの数年で変わったのが大きいと思う。

前までは周りと比べて物質的な豊かさが幸福に比例すると思っていたし、自分で工夫するなんてしたことがなかった。

仕事を頑張って、好きなものを好きなだけ食べて、好きなものを好きだったか分からなくなるほど物を買って、それでも心は満たされずに、なんとかその空いた部分を埋める為に、また、稼いだお金を燃やしていくような生活。

食事や生活を後回しに物質的な豊かさばかりに執着していたから、一瞬でも欠けた瞬間に「あー。幸せになりたい。」という想いが、頭に浮かんできたりもした。

今の生活はどうだろう。

昔よりも家はボロボロだけど、自分で直したりDIYした自慢の我が家に住んでいて、高級ブランドへの執着は無くなって、お気に入りを変わらず着回している。

キッチンに立つ時間もスーパーに行く時間も好きになったし、本当に会いたい・行きたいお店を選んで外食にいく。

ペットボトルのジュースばかり飲んでいたのに、今はストーブの上にポットを置いて白湯を飲んだり、水筒を持ち歩いて水を飲むのが心地いい。

携帯ゲームに課金したり、買い物が趣味だったのが、読書をしたり絵を描いたり。節約のためにシャワーばっかりだったのに、お風呂で体をしっかり温めて健康を大切にしたり、風呂水は洗濯に使ったりしてる。

お弁当を持って行って、公園の芝生の上でご飯を食べたり、音楽を流しながら、読書やヨガをしたり、お昼寝をしたりが、最高に幸せだ。

おかしいな、あの時よりも生活に必要なお金は少なくなったのに、心はすごく豊かだ。

物で埋める欲が無くなって、後回しにしていた「暮らし」を大切にするようになって、だいぶ変わった。

振り返って思うのは、結局全部、自分の考え方に影響されるんだということ。ずっと「ない」と思っていれば、いくら満たされていても、心は満たされないだろう。

きっと私は、生まれてから今日まで、10代の頃も、20代の今も、心からの「寒い」も「お腹すいた」も経験していなかった。生活が苦しい時代も含めて。

どんなにお腹いっぱい食べて、どんなに暖かな部屋で過ごしていたとしても、「今」満たされていることに気づけない人は、きっとどこまでいっても満たされない。

最後に北島のおじいちゃんが言っていた、もうひとつの言葉も忘れないように残しておきたい。

「お金をかけずに、楽しめる生き方を大切にしなさい。」







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