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風呂と私と鏡本。〜おまおれ132Pまでの感想文〜


冷えた体にはお風呂、冷えた心には熱々の本

10月半ば、長野もだいぶ冷え込んできた。朝はなかなか布団から出ることができないし、夜は暖かいストーブの前から動くことができない。生物学上人間は変温動物ではない筈だ。こんなにも気温に左右されてしまう自分は、すでに違う生き物になってしまっているのではないかとさえ思ってしまう。

心まで冷え切ってしまう前になんとかせねば…。節約のためとシャワーで済ます日々に「湯船に浸かる」という選択が増えた。

一日の終わり、すでに気力も体力も限界に近い。ソファに座ってネットサーフィンなんて始めようものなら、気づけば翌朝になってしまうだろう。最後の力を振り絞って装備している服を脱ぐ。ブラジャーってなんでこんなに面倒なんだろう。後ろに回した手と、寄せられた肩甲骨が悲鳴を上げている。

人の声を聞きたくないタイミングにぴったり「おやすみジブリ ピアノ 秋」を流しながら、湯船に浸かった。冷え切った体にじんわりと温かさが広がる。ああ!最高に幸せ!

しばらく、ぼーっと風呂場の角を眺めて、視界を窓際に移す。湯気が上がる中、その一箇所だけオレンジ色に鮮やかさを纏っている。

【おまえの俺をおしえてくれ 徳谷柿次郎 著】


この一冊が、私の風呂友になっている。最近は少しずつ表紙やページがぼろぼろになってきてしまった。「蓋の無い湯船で本を読んではいけない」そう思いながらも私はこの時間に読むことを選んだ。

徳谷柿次郎さんが40歳の誕生日に出版した人生書。幼少期から現在に至るまでを30万文字408ページに凝縮した一冊。紙の本は熱を持たないはずなのに、なぜか熱さを感じる。

以前、募集されていた「おまおれエッセイ」に応募したことがある。徳谷柿次郎という一人の人間が、他人の中でどんな認識なのかを知ることができる面白い企画だった。私は「未確認飛行物体K」という題名で想いを綴った。エイリアンのようだった恐怖の存在は、自分と同じ地球人だった。

実はこの一冊が販売されてしばらくは、手に取ることができなかった。同じ地球人だったと分かってしまったからこそ、この一冊を開いたら、嫌でも自分という人間とも向き合わなければいけない、そう感じたから。

遠くの存在ほど「恐怖と好奇心」は小さくて、近くの存在ほど「恐怖と好奇心」は大きくなる。きっと多くの人が同じ経験をしたことがあると思う。9月半ば、目に入る情報に目を背けこの一冊を手に取らなかった。

10月半ば、長野もだいぶ冷え込んできた。熱々の一冊が冷え切った体と冷え切ってしまいそうな心に、不思議と溶け込んでくれた。「きっと私のタイミングはここだったんだろうな。」そう思う。


置いてけぼりにされない一冊

読み始めて分かったことがある。この本は一緒に歩きながら進んでいく本だということ。

私は本が好きで同時に嫌いだったりするのだけど、その理由は読み進めている内に「置いてけぼり」になることがあるからだ。まるで恋人との間にいつの間にか、上下関係が出来てしまった時と似たような気持ちになる。

興味を持って読み始めたけれど、距離が出来て、理解したい気持ちも薄れて、「もう別れましょう。」と本を閉じてしまうのだ。

でも、この本は少し違うみたい。

ぱっと見インタビューかと思うページは、実は著者をカウンセリングしながら過去を深堀りしていくもので、本当に目の前に二人がいるような感覚になる。

インタビューとカウンセリングの違いについて調べたことがある。インタビューは「答え」を見つけるもので、カウンセリングは、相手に「応える」うちに、相手が「気づき」と出会っていくこと、だそうだ。

面白いのは二人の会話の文章が色分けされていることと、ページの下に会話中に出てくる言葉の説明が載っていること。これが距離を離さないようにしてくれる。実際に存在した二人の会話にあった温度を伝えてくれる工夫が至る所に施されている。

15ページ「ちんちんが立たなくなった時」の説明には、408ページの始まり数ページでその単語と遭遇した驚きもあったが、「なるほど…。」と男性の大変さを考えさせられた。

21ページ「心の穴」は性別や年齢に関係なく共感できる人が多いのではないだろうか。気づいている人もいれば、気づいていない人もいる「心の穴」は確かに存在すると、私は思う。


洋平少年と青年、そして過去の記憶

132ページまでは「徳谷柿次郎」になる前の「徳谷洋平」という一人の人間と出会った。

少年から青年までの人生を辿りながら、同時に過去の自分とも再会してしまう。何であんなに執着していたか分からないくらい「好き」を沢山集めた子供時代の記憶や、恐らく誰しもが持っている「家庭環境」という自分にとって、ダークなワード。

読んでいる途中で、洋平少年への気持ちなのか、過去の自分への気持ちなのか、それが溢れて滲んだ視界を拭った。

風呂場で読んだのはやっぱり正解だったのかもしれない。

生々しいほど一人の人間

こんなにも人様の人生を観ても良いのだろうか?そう思うほど、一人の人間が生々しく映されていた。ドキュメンタリー番組の何倍も濃い。

本を購入する前に参加したワークショップで、柿次郎さんとお会いした。

読む前で良かったかもしれない。今は一番会わないようにしたい人物とさえ思ってしまう。だって人生に土足で踏み込んでしまっているような申し訳なさと、自分という人間の不甲斐なさとで、まるで丸裸で壇上に上がっているような気持ちになって、なんだか泣きそうになってしまう。

そして凄く感じたのは焦りという感情。

今の自分がいる「20代」という場所を筆者が通過していることへの焦り。40歳の誕生日に出版した本だから、当たり前のことなのだけど、何故か「やばい!」そう感じてしまった。

人それぞれ人生がある。そこに正解も不正解もない。

でも忘れてはいけないのは、自分で全てを選択をしているようで、実は「他人」からの影響を受けているということ。五感から取り込む情報で、気づかないうちに思考が変わり、人生が変わっていく。

きっと私の中に湧きあがった「焦り」も影響を受けている証拠なのだと思う。

そして私は恐怖の海底に潜り込んだ

ざわざわしている、ずっと。

変わりたくない気持ちと、変わりたい気持ちとがずっと渦を巻いている。

自分の感情と向き合うのはいつだって怖くて、ライト片手に海底へと潜っていくような怖さが離れない。今まで浅瀬でちゃぷちゃぷしていたのに、いつの間にか海底へと潜ってしまった。

30万字読み終わる頃、私という人間はどこにいるのだろう。


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