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みんな、誰かに認めてもらいたい

褒められると嬉しい。

なんだか自分が
ここにいてもいいんだと
言ってもらえてるようで。

力が湧いてくるというか、
自信につながるというか。


いつからか、
周りに認めてもらうことが
目的になってしまっていた。

誰かに「イイね」と言われるために? 
素晴らしい人物だと思われるために?
自分は周りよりも優れていると、
優越感に浸りたいがために?

そんな風にして
いつの間にか大人になってしまった。

社会に出てからも、
その癖は蔓延り、

ところどころで
顔を出していた気がする。


どんなに一生懸命やっても
なぜだか、届かない何かがあって。

一生懸命になればなるほど、
手を伸ばそうとしても、
どんどん遠くへいってしまう。

誰も認めてくれないことに怒りを覚え、

そうしてるうちに
どんどん自分がどうしたかったのか、
分からなくなっていっていた。


小さい頃からスポーツも勉強も
なんでも一生懸命。
進学校へ行ったのも、大学へ行ったのも、
好きなことがあるからというよりは、
一番の理由は、周りに認めてもらいたかったから。

認めてもらうことで、
自分は存在しててもいいんだ。

そう思えたからだ。


でも
あるとき

それはガタガタと音を立てて
崩れ始めていった。

自分は何をして、
どんな考えで、
どんな風に生きていきたいのか。
そして、
なぜそれをしたいのか。
なんのために。


何も答えられなかった…

ただただ
承認欲求ばかり、
それでいて自分の意見はなく、

いつも
誰かから答えをもらおうとしていたから。


自分で決めることもせず、
他人の意見に答えを求め、
いつも不安しかなかった。

猫はいつもマイペース。
そんな姿にほっこりする。


そこから
少しずつ自分に
ベクトルを向けるように日々練習。

私は
どうしてそれをしたいの?

そんな問いかけから
始まったような気がする。

そのうちに、
どうして周りから認められたいの?

そんな風に問いかけることも
多くなって、

自分が認められないことに
対する恐怖というか、
漠然とした不安のようなものを
感じていることにも気づくようになっていった。

そっか
怖かったんだね。

そっか
自分がここにいていいのか
確かめたかったんだね。

いつからか、
そんな風に自分の思いと対話する。

私が、わたしの思いを赦し、
認めてあげるようになっていくと、
様々な不安や焦燥感、孤独といった
ものが、少しずつほどけていくようだった。


まだまだ
誰かに認めてもらいたい私も
もちろんいる。

その度に私は
そんな自分のことを
ギュッと、そしてやさしく
何度でも抱きしめていくだろう。

私が一番の自分の理解者である、
という事実は、
大きな大きな安心感に
包まれる心地がする。




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