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夫婦関係は異文化理解なのか?

こんばんは。

夫婦関係は、異文化理解だという話をよく聞くけど、
確かに異文化ではあるかもしれないが、異文化理解という言葉はしっくりこない。
異文化は、辞書を引いてみるとこのように記されている。

価値観や言語,習慣や行動様式など,自分が親しんでいる文化とは規範・営みの異なる文化。

大辞林

どこまでを「文化」と定義づけるかにもよるけれど、単純な価値観の違い程度なら、それは友人関係でもあるわけで。
なんでそんなに大ごとになってしまうんだと思う一方で、もしかして友人関係も異文化理解のように相手を深く深ーく理解しないと分かりあうことはできないのだろうかとも思ったりする。

振り返ってみれば、夫のする、私にとっての謎行動は、義両親を見ると納得する部分も多いから、背景事情を理解することで謎から普通に変換される瞬間もある。その点では、異文化理解は相互理解に一歩近づくことになるかもしれない。
でもそれって、私が義両親の家で同居している場合なら分かるけど、夫婦2人で生活している場合、どちらかが理解を深めるということではなく、新しい答えを導きだしていく作業が必要なのではないだろうか。

だから、異文化理解は根底にありつつも、夫婦関係は理解に留まらず、そこから最適解を見つけ出すこと、という定義がしっくりくる気がする。


そうは言いつつ、やっぱりお互いに譲れないところは沢山あるわけで。
「最適解=どちらかの我慢」というケースも少なくない。
その我慢が、時間と共に日常化することもあるだろうし、一生混ざり合わずにあふれ出すこともあるだろう。

自分の両親を見ていると、父のこだわりの無さがベースにあるものの、母の意見が優位にあることで平和(的)に営まれているのが現状である。
私はこういう家庭で、自分もそれなりに意見を通してもらってきてしまったので、私のお願いがほとんど通らない今の関係は正直ストレスもある。
ただ、解決策はないわけではなく、今は先手必勝!やられる前に自分流にやってしまうことでストレスを軽減させられているような気がしている。

こうやって自分たちなりの解を見つけつつ、将来良い関係が作れたら良いのだけど。結構不安が大きいかな。一歩一歩、頑張ろう。

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