大切な人を犠牲にしてまでする仕事なんてない
子どもたちも、だいぶ大きくなってきたとはいえ、まだまだ体調も崩すし、そんなときに1人でおいておくわけにはいかない。
以前に勤めていたブラック企業は、
“プライベートで何があろうとも仕事を最優先することが美徳”
という体質が根強く残るところだった。
そこから抜け出し、子どもたちとの時間や自分自身のケアを一番に考えて行動するスタイルに変えてから、『生きる』ということが本当に楽しくなってきた。
ずっと抱えていた“違和感”はこれだった
ブラック企業に勤めている間、「辞めようかな」と愚痴をこぼすたびに、周りから言われるのは、
「どこへ行っても不満はあるもの」
「お金のためと割り切ればいい」
などの、『働くことは忍耐』という教え。
上の言うことには逆らえない、
組織を変えようとしても無駄、
みんな同じように我慢しているのだから、1人が反発すれば、みんなに迷惑がかかる…
そういう空気がたまらなく苦手だった。
私が、子どもの頃から親に煙たがられていたのは、
“親の言うことを聞かないから”
それは、自分の納得できないことに対して正当な理由もなく、
ただ、『立場が上だから』『昔からの慣例だから』
というだけで無理やり押し付けられるのが、理解できなかったから。
仕事に対しても同じ。
けれど、それもすべて、
“それぞれの人が、何を大切にしているかの違い”
から生じる違和感だった。
自分の人生における優先順位
和を乱さないこと、
効率が良いこと、
確実であること、
勝負に勝つこと、
…
あるいは、
家族が大切、
自分が大切、
友達が大切、
仕事が大切、
…
人にはそれぞれ、重視するもの、大切に思うもの、その優先順位がある。
私にとっては、
『子どもたちや自分自身、大切な人が心地良くいられること』
これが、一番大切にしているもの。
以前は、納得できないことに不満を感じつつも、周りに迷惑をかけるのには抵抗があり、行動に移せないこともあった。
けれど今は、私の一番大切だと思うことを、ちゃんと優先して行動すると決めている。
そう決めてから、
どうしようかとグルグル悩んで答えが出ないことや、自分のしたことを後悔することがほとんどなくなった。
何のために生きるのか
私にとっての生きる意味は、
『自分のすることが誰かの役に立つこと』
『子どもたちが、この先も生きていたいと思える未来をつくること』
子どもたちのために過ごす時間の優先順位が高いので、
例えば、子どもの体調が悪くなれば、多少職場の人たちに迷惑がかかるとしても、仕事を休むし、
子どもたちの重要な用事があるときに休みが取れないような職場に勤めることはない。
でも、仕事が生き甲斐の人は、仕事を何よりも優先することになる。
それは人によって様々で、自分の思いを他人に強制することはできない。
優先事項として選択するものが違うだけ。
これまで私が周りに向けてきた、イライラに対しての自戒を込めて、
すべての人が、お互いの選択を尊重できるようになればいいと願う。
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