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57日目 正しい決断 〜バンコク2日目〜
昨日飲みすぎたようで、どうやって帰ったのかも何時に帰ったのかもあんまり覚えていない
案の定朝起きると(朝と言っても12時を回っているが)、軽くではあるが二日酔いだった
二日酔いがなくなるまでベッドでゴロゴロYouTubeなんか見ながら過ごす
今泊まっているこの宿、過去一で良くない環境な気がする
カーテンがないのでプライベートはないし、臭いし、暗いし、ロッカーはないし、臭いし、トイレの水は流れないし、紙ももちろんないし、臭いし、エアコンはないし、殺伐とした空気だし…
エアコンがない環境で閉め切っていることによる汗の匂いなどもあるのだろうが、それに加えて、生ごみ系の匂いがする
ゴミやゴミ箱が部屋の中にあるわけではないのに、全く謎である
明日数十円高いところに移る予定である
匂いもそうであるが、宿泊者がみんな1日を宿の中でダラダラ動画を見て過ごすような環境だと、自分もそっちの世界に毒されてしまいそうになるというのがデカい
昨日飲んだメンバーと今日はゲイバーに行こうという約束になっていたが、正直昨日全く面白くなかったので、行きたくなかった
旅をしていると会話の始めは必ずどこ出身なのかというところからスタートする
ここで国によって、話す言語や文化というかなり大きな要素が決定するので、どうしても大きなこととして意識してしまいがちである(少なくとも僕はそう感じた)
日本で最初に年齢を聞いて、それによって会話の内容や話し方を変えることはみんな無意識のうちにやっていると思うが、それのもっと影響力の大きい版といったイメージだ
そしてこの意識は個人との会話を妨げる
個人ではなく、この国の人と話している、この文化圏の人と話していると思いがちになってしまう
会話の内容に対して、「この国の人はこういう文化だからこの内容っていうのは…」「こういうことを話すのはこの文化圏だからだな」といったように干渉してくるのだ
例えば、差別的な発言があったとして、そこに確かに、白人はアジア人を下に見ているといった事実が現実世界に仮にあったとしても、その時に行われているのは私と相手との会話であって、その国の人がといった集団を見て結論づけるのではなくその相手が差別発言をしたと捉えないといけない
簡単に言えば、そういう人もいるよってやつだ、どの国でもどの文化圏でも
もちろん傾向があることは間違いないので、傾向を語る時はこのような考えは問題ないと思う(ある国は嘘をつく人が多いとか、うるさいとか、差別的とか)
でも会話をする際は、その人がどうかで毎回考える必要があるような気がする
(それが必ずしも正しいかはよくわからないけど、現段階ではそうした方が幅を狭めないし楽しい気がしている)
的なことを考え、昨日の飲み会がつまらなかったのはその個人のせいだということにして、その個人に対するイライラをタイのにんにくのガッツリ効いたお肉で押さえつけ、今日は行かなくていいやと結論づけるのだった
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結局夕方頃からちょこっとだけ散歩して、夜はまったりギターを弾いて、それ以外はダラダラ過ごして1日を潰した
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夜、その辺の道端でアコギを弾いているとたまに興味を示してくれる生き物がいる
カエル、ゴキブリ、猫、ギタリストを夢見るタイの青年、大量の蚊とハエ
カンボジアよりも暑くて夜なのに汗かいた
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今日の自立散歩のお供
クリスタルキング
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