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発達障害息子氏の年齢の頃の自分を振り返る①就職活動。

 現在20歳の息子氏は、大学三年生。心臓の手術からまだ2か月。遠隔で授業を受けているので、ほぼほぼ家に居ります。心臓の手術という、ある意味すごい経験をしたとは思いますが、今では痛みもほぼなくなり、体調的にも手術前とあまり変わらない感じらしいです。

 そんな息子氏の年齢の頃の自分を思い出してみようと思います。

 私は短大卒でしたので、息子氏の年齢の頃、既に社会人でした。
 とはいえ、就職活動が超氷河期と言われた時代、類に漏れずというか、今思えば発達障害らしさが出てしまって違和感があったのか、とても苦労をしました。

 今思えば、就職先として自分の希望にこだわり過ぎていたことが最大の原因だったと思います。

 当時の私は、病院栄養士として就職することを希望していました。
 が、病院栄養士の就職は、基本的には誰かが退職を希望して、欠員が出て初めて求人が出るというもの。短大2年生の1月を過ぎないとその求人が来ることはないと言われていました。

 どうしても就職したかったのは、産科病院でした。母性栄養学(妊娠期授乳期の栄養について考える学問)に興味があり、その担当の先生は自身で産科病院を開業していた院長でした。その先生のもとで働きたい、と思っていたところ、求人があり、就職試験を受けました。
 結果、不採用でした。最後のふたりにまでは残っていたと聞きました。どちらを選ぼうかと考えた時に、早朝勤務があったのですが、実家からは車で50分くらいかかるところにある病院だったので、その差の分だけがマイナスだった、と就職相談室の先生から聞かされました。
 ただでさえ就職が叶わなかったことで落ち込んでいたところに、

「その差を覆すほどのプラスがなかったということでもある」

と釘を刺されたことで、メンタルが激しくやられたことを覚えています。

 その後、就職試験恐怖症のような状態になっていた上に、思うような病院の求人もなく、半ば就職を諦めていました。

 栄養士としての就職しか考えていなかったのですが、親には「何でもいいから正社員になれ」というプレッシャーをかけられ、メンタルがさらに病んだ記憶があります。
 今思えば、親は親で「正社員」にこだわっていた。私は私で「栄養士」にこだわっていた、という発達障害らしいところかと思います。

 短大の卒業式も終わった3月の終わりころ、短大生活を真面目に真面目に過ごしていたお陰か、学科長教授が推薦をしてくれて、小学校の臨時採用栄養士として就職することが出来ました。

 社会人一年目の話はまた次回。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)


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