医療と私①祖母のがん告知。

 私が医療について考える際に忘れられない出来事があります。

 それは、もう亡くなって15年ほどになる祖母の話です。

 祖母は長年糖尿病を患っていましたが、私が20代前半の頃に肺がんになりました。

 その時私は既に栄養士として病院に勤務していました。勤務していた病院で、肺がんが見つかり、私が告知を受けました。育ての親と言っても過言ではない祖母のがん宣告は、当時私には、過酷なことでした。

 勤務中に呼ばれ、告知を受けたのですが、主治医に

「あなたがしっかりしないと」

と言われたことに衝撃を受け、激しく動揺しました。
 そして、わたしから、祖母の子である母親や叔母に連絡しました。

 医療従事者も人間です。
 当時が人生で一番荒れていたと思います。家にいることを避けるように、飲みに出かけたり、友達の家に遊びに行かせてもらったりしていました。

 まだ転移もしておらず、手術すれば治るかもしれないということで、手術をすることになりました。
 祖母は手術に向かう前に、仕事のふりをして顔を見に行こうと思ったのですが、時間的に間に合いませんでした。でも、その際祖母が看護師さんに、

「孫の花嫁姿を見るまでは死ねないから、頑張ってくる」

と言っていたという話を、看護師さんから聞きました。

 それまでは結婚したいという気持ちは全くなくて、キャリアウーマンを目指そうと思っていたのですが、その言葉で初めて結婚を意識するようになりました。

 その手術は無事に成功し、祖母は元気になりました。

 そして、私がやさぐれていた頃に出会い、付き合うことになった今の旦那氏と結婚し、結婚式に出てもらうことができたことと、孫を見せられたことが唯一の祖母孝行だったと思います。

 ここまで書いた時点で、思い出して涙が止まらないので、続きはまた次回。

  ↓このYouTubeみんつくちゃんねるでの「みんなでつくろうこれからの医療PPHプロジェクト」リーダー方の話を聞いて、思い出したことを「医療と私」シリーズとして少し書いていこうと思います。

以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)

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