発達障害的、普通と特別と特殊の狭間で。
昨日の記事にも書いた「特別感」について考えました。
私は子どもの頃から「自分は周りの人と何か違う」という感覚を持ちながら生きてきました。「何か違う」という肌感覚と、周りに求められる「普通であること」とを、行ったり来たりしていたような、そんな感じでした。求められるうちに私も「普通でありたい」と思うようになり、フツウを目指せば目指すほど、「周りの人とは同じにできない」自分をまざまざと感じさせられるのです。
周りは普通と同化することを求めてくる、その上でさらに、「人よりも優れた何か」をも求められていたように思います。普通の多くの人が出来ることは「出来て当たり前」、普通と同じようにできた程度では認められず、常に上にいる人たちを比較して「出来てない」という烙印を押されていました。
このことを振り返ると一番に思い出すのが、中学一年生の時。
試験で学年3位になって、やっと褒めてもらえると思ったら「まだ上に二人も居る」と一蹴されてしまったのです。その時の衝撃は忘れられません。人と比べて評価されるのが当たり前で、私は常に一番上であらねばならないという、出来もしない目標を擦り込まれた瞬間だったのだと思います。
普通でなければならないのに、普通と同じではいけない。そんな相反する求めに対して「普通」と「特別」と「特殊」の狭間で、私はもがき苦しみ続けてきたのだと思います。
そんなことしなくてもいい、ということを教えてくれたのが昨日のセッションだったのだと思います。
人と比べなくていい。
普通でなくてもいい。
私は私でいいんだ。
やっとここに辿り着けました。
それでも、長年の習性はそう簡単に修正されることはないと思います。分からなくなったらまた考えればいいっか^^
以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
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