「食べやすさ」と「おいしさ」
人間が食べ物を「おいしい」と思える条件はなんだろうと考えることがよくある。待ってほしい待ってほしい。うわ、食にうるさい面倒なタイプの人間だ逃げろだなんて思わないでほしい。私が食事を摂れるようになった、というか、摂ろうと思うようになったのは最近のことで、今までずっと「食べる」という行為に困難を感じ続けてきた。消化器官が圧倒的に弱く、それに加えて摂食障害、嘔吐恐怖症、会食恐怖症、パニック症など、食べることに関する緊張や不安がとにかく強い。食べられなくても生きられればいいのにとずっと願ってきたし、サプリなんかで済ませられるならそれがいいと思っていた。
こうした食に関する難しさがあるからこそ、どうにか食べ物を体内に摂り入れるために、せめて「おいしい」と思える工夫が必要なのであった。
「おいしい」の要素はなんだろう。味、香り、風味、食感、温度、見た目。このあたりが基本だろうか。私は特にも「食べやすさ」について言及したい。
食べ物が体内に入るためには、まず最初に口に入れなければならない。そこまでの過程に難があれば、「おいしい」と感じる以前の問題だ。小さい子どもが、魚の小骨を取るのが面倒だからという理由で食べなかったり、魚が嫌いだと言ったりする。なんとか魚の身を口に含んだとしても、そこに小骨が混ざっていれば、「おいしい」というところまで意識がいかないんじゃないかと思う。まあ、骨を自分で取るのも勉強なんだけどね。それはここでは置いておく。
私自身がそうだった。私の父は料理をするタイプで、鯛の炊き込みご飯やブイヤベースを作る。家族の好みというよりは、本人が食べたいから、家族分作る。ブイヤベースは、海老の殻が入っている。本来そういう料理だし、殻から出汁が出るのもわかっている。が、私はそれを食べるのが億劫だ。鯛飯もよく作ってくれるけど、骨や鱗が取りきれずに入っているので、ご飯をパク!もぐもぐ、ごくん!とできるわけではない。常に口内で舌がジャリジャリしたものを探している。味がどうとか、そういう話じゃない。だから、私は小さい頃から、自分が料理をするようになったら「食べやすさ」を大事にしようと決めていた。それは何も、噛まなくてもいいようなやわらかいものを作ろうというわけではない。噛みごたえとか、喉ごしもおいしさの一部だから。食べ終わったときに疲れ切ってしまう料理を作るのは避けようということだ。
大人になって未だに私は実家暮らしだが、平日の大体は私が家族分の夜ご飯を作る。これをするようになってから、「食べにくいからおいしくない」というのはかなり減った。食べることが人一倍苦手である以上、こういう小さなストレスをなくしていくことが本当に本当に大事なのだ。
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