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シェアハウスインタビュー vol.5 こうたくん

私は今、約140人規模のシェアハウスに住んでいます。
そこには様々な経歴、面白いキャラクター、素敵な価値観のひとたちがぎゅっと揃っています。
せっかくだから、この家に住んでいる間にいろいろなひとのお話を聴いてみたい!とはじめた企画です◎
第5回は、こうたくんにお話をお伺いしました。

<まずは自己紹介をどうぞ!>
こうたです。名古屋出身で、千葉育ちです。あとは、4〜8歳まで、父の仕事でイギリスにいました!
イギリスに行ったばかりの頃はめっちゃ泣いていたらしいんだよね(笑)言葉がわからないのに、幼稚園に連れて行かれるのが嫌だったのかな。
でも、記憶があるタイミングでは、イギリス生活はすごい楽しかった!
家の庭も広かったし近所に大きな公園もあったから、ボールを蹴って遊ぶようになった。それで現地の子供達とサッカーをするようになって、どんどん仲良くなっていった!

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日本へは小学2年生の9月に帰ってきたんだけど、丁度転入してから2週間後に運動会があったんだよね。運動会で踊るダンスを教えてもらったりして、クラスの友達とも仲良くなれた。
あとは、サッカークラブに入ったのもあって友達が増えていった!
なぜか父親がサッカークラブのコーチを始めて、それがすごい嫌だったんだけど(笑)、サッカー自体は楽しくて、イギリスにいた頃から高校3年生までずっと続けていたよ。
結構ちゃんとやっていたけど、そんなにうまいほうではなかったな。だから、サッカーでは悔しい思いもたくさんした。負けたり選抜で落ちたり、中学時代に一番挫折を経験したかもしれない。

趣味は海外旅行!
大学時代、海外ボランティアでフィリピンとオーストラリア、タンザニアにそれぞれ1ヶ月位滞在したことがあるんだよね。フィリピンの後にオーストラリアを訪れたら、先進国は日本とそんなに変わらないから面白くないなって思ってしまった。
西洋の文化もすでに日本に入っているし、表向きには宗教的な違いがあるかもしれないけど、本質的には変わらないじゃんって感じてしまったんだよね。
だから、ベトナムやタイのようなローカルなところが好きで、コロナの前まではよく旅行していたよ。

<確かに、よく海外旅行しているイメージがあるね!
大学時代はどんなボランティアをしていたの?>

小学生に対して英語を教えたり、文化交流をしていたよ!
向こうって、日本と違って教育課程がないところが多いんだよね。例えば、学校の教師は地元のお母さんが担っていたりもする。
だからその分「来週の土曜日は運動会やってみようか」という感じで自由に進められて、めっちゃ楽しかったな。

こういう風に話していると英語とか国際交流の勉強をしていたと思われがちなんだけど、大学では経営工学を学んでいて、ごりごりの理系だった(笑)
イギリスにいた頃、難しい買い物の計算をしたらお父さんに褒めてもらえたんだよね。小さい頃から厳しかったから、褒めてもらえたことがすごい嬉しかった。
あと、イギリスだと8歳で12の段もやっていたし、掛け算もできたんだよね。
だから日本に帰ってきたときにみんなよりできるんだって思ってくもんも始めて、どんどん数学が好きで得意になっていった。
大学進学のとき、「これをやりたい!」というものは正直なかったけど、子供の頃からの成功体験で理系に進もうって決めた。

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<そうだったんだね。私も完全に国際交流系だと思ってたよ(笑)
今仕事は何をしているの?>

仕事は、リクルートで経営企画をやっている。
うちの会社は国内の色々なサービスをやっているから、年間の利益を達成するために毎月の収支状況をモニタリングして、コストのコントロールをしているよ。
特に今はコロナで変動が激しいから、どのコストを削減するのか、それは産業の成長のダメージにならないか、とかを見ているよ。
最終的な意思決定をするのは役員だけど、その手前の段階でデータの収集とか分析をしている!

もともとは飲食店の広告営業をしていたんだけど、営業以外のこともやりたいなと思ってこの春に異動してきたよ。
前の部署ではいろいろ自由にやらせてもらえていたし、クライアントと一緒にひとつのものを作るのは楽しかった。だけど今自分が大企業にいる意味ってなんだろうと考えたときに、せっかくだったら他のことも経験したいなと思ったんだよね。それで、社内の転職制度を使って異動希望を出した。

最初は社内で事業を作る経験をしてみたかったから新規事業室に行きたかったんだけど、よくよく調べるうちに今の部署のほうが面白そうかなと思って、変更した!
「リクルートだからできること」を考えたときにこっちのほうが面白そうかなと思ったのと、この年次でできることとして良いんじゃないかなと思ったんだよね。

<そうだったんだね。実際に異動してみてどう?>
今の仕事は、すごい楽しい!
「経営」って色々な事業への思いとかも大事だけど、最後はちゃんと数字がまわらないと成り立たないものだと思うんだよね。
今の仕事はその全貌が見えるから、知っているようで知らなかったことを学べている感覚がある。
今見ているものは規模が大きすぎるけど、どの事業も結局は一緒だなって思うしね。

<すごいなあ〜!
もともとどうしてリクルートに入ろうと思ったの?>

実は最初は、大学院に行こうと思っていたんだよね。
大学では“生産管理のモデルを作る”っていう勉強をしていて、例えばアマゾンの配達拠点が東京に1個あるよりも神奈川と千葉にあったほうが効率的になることを数字的に証明する、みたいなことを学んでいたよ。
それをもっと深めようと思っていたんだけど、そういうのって数学的には面白くても実務としてやりたいことじゃないなって思ってしまったんだよね。
日本の大学院だと、必ずしも卒業後その専門分野に行くわけじゃないかもしれないけど、とはいえ2年間の修士期間はきちんと勉強したいじゃん。だからこそ、勉強したくなったらまた戻ってくればいいし、一旦就職しようって思って就活を始めた。

そんな状態だからやりたいことも特になくて、5年間ぐらいしかいない前提でなんでもやらせてもらえるようなコンサルやメガベンチャーを受けていったよ。
最終的に今の会社にしたのは、数少ない同期がみんな優秀だなって思ったからだった。それも、ただスキルがあるだけじゃなくて思いがある人たちばかりで、この人たちと一緒に働いてみたいなって思ったのが最終的な決め手だったんだよね。
当時は同期しか見ていなかったけど、先輩や後輩を見ていても面白い人が多いなって思ったし、今でも尊敬している。
例えば会社員をしながらM1を受けて、NHKでグランプリをとってお笑い芸人になって辞めていった人や、日本に来ている海外の観光客に漢字をつけるサービスを始めてニュースに取り上げられた人とかがいて、いわゆるビジネスのエリートではないんだけど、「自分らしさ」をコンテンツとして持っているユニークな人たちが多かったんだよね。
そういう人たちに囲まれているのがすごい楽しかったし、自分の好きなことを形にしている人たちに刺激をもらってたかな。

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<とっても素敵な人がたくさんいるんだね。
「5年くらいしかいないつもりで」という話があったけど、その先どうしていきたい!みたいなことは決まっているの?>

当時も今もその都度思っていたことが変わるから、今後もどうせ変わるんだろうなっていう感じはする(笑)
今も「これをやりたい!」という具体的なものはないんだけど、海外で自分が通用する人材になりたいっていうのと、日本の公教育に携わりたいという漠然とした思いはあるかな。

<そうなんだ!それぞれ聞いていくね。
「海外で通用する」っていうのはどんなことをしたいの?>

ずっと思っているのは、宗教も国籍も年代も関係ない人たちで1個の社会的意義があることに本気で取り組むっていうのをやりたいんだよね。
成功の定義は曖昧だけど、みんなで肩を組んで笑えるっていう状況が憧れかな。
今の社会は、「当たり前」と言われるようなしがらみが多すぎるように感じるんだよね。日本だったら「礼儀正しくして言わないことが正しい」とかね。
そういうバイアスを全部取っ払って、それでも「いいな」と思えることがしたい。

この3年間社会人をやっていて、なんでも良く言おうと思えば良く言うことはできるけど、本当にフラットに純粋な眼差しで見たときに、「本当にこれ、自分で良いと思ってる?」って言葉に詰まることが多いなって思ったんだよね。
それでも対応する能力はあるけど、若干違和感があるというか。
「何兆」みたいな数字を見たときに、もちろん経済的に良いことをしていると思っているし、やらないっていう選択肢にはならないんだけど、「自分の人生かけて何やりたいの?」っていう話とはマッチしないなと思っている。それに違和感があるから、やっぱり心から「いいな」と思えることをやりたいのかな。
あと、大前提ずっとそうなんだけど、具体的に何をやりたい、というよりもそういう「状態」が好きなんだよね
今も勉強していてすごいねって言われるけどそうじゃなくて、こうやって自分が「在りたい自分を目指している状態」が好きなんだよね。
自分はもっとできる!と思って「明日に希望を持っている状態」っていうのかな。

<確かに、そういう意味では「こう在りたい」を叶えるためにとてもストイックなのかもしれないね。そういう「在りたい自分」で居続けるために、何かやろうと思っていることはあるの?>
具体的にいうと、2022年に留学したいと思っている。
そのために2021年の9月に出願する必要があって、それまでにスコアを取らなきゃいけない。海外で働きたいなとか色々考えていたけど、ぼんやりさせたままだったんだよね。ちゃんと考えようとすると、ビザどうする?みたいな現実的な問題やスキル不足もたくさんあるから、まずは必須要件として「やらないといけないこと」を全力でやっているよ。

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大学を卒業するタイミングで、いつかは海外の大学院に行きたいと思っていたんだよね。でも、当時大学院に行かなかった理由も専門分野に興味がなかったからで、だったら学びたいことを探そうと思った。
色々悩んだんだけど、今はMBAかなって半年前ぐらいに納得したよ。
「誰と学生生活を過ごして、どういう機会を得られるのか」がすごい大事だと思っているんだよね。そう考えたときに、MBAくらいしか5年間のキャリアを踏んでから行く場所はないかなと思った。
各国々でビジネスの最前線で戦ってきた人とディスカッションしたい!というのと、MBAはなんでもできる環境だと思ったから。
いわゆるグローバル企業のトップの戦略を考えることもできるだろうし、自分の描いている状態に対する制約条件にならないなっていうのが大きいかな。

<どんな人たちと一緒に自分がどういう状態で在りたいか、みたいなのをすごいちゃんと見極めているんだね。
少し前に言ってくれていた、日本の公教育に関わりたいっていうのはどういうことをやってみたいの? >
そもそもそうやって考え始めた発端は、イギリスから日本へ帰ってきたときに統制が取れている教育に違和感を感じたからなんだよね。
さっきも言ったように日本の小学生に比べたら掛け算ができたから、どんどん手を上げて答えていた。そうしたら、周りよりできる分には良いけど、そうやって発言しちゃうとみんなが考える時間がなくなってしまうと怒られたことがあったんだよね。
別にそれ自体は間違っていないとは思うんだけど、その時にすごい違和感を感じた。

あと、例えば、すごいしょうもないんだけど、車が来ていないときに赤信号を渡っちゃうんだよね(笑)
車が絶対に来ていないのがわかるときにも、「赤信号だから止まる」っていう現象が違和感でしかなかった。だって絶対に平気だし、何が俺の行動を止めているのかわからないなって思ってしまった。
それなのに、別にこれが正しいとは思わないんだけど、赤信号に複数人止まっていたら俺も止まるんだよね。いつもだったら絶対安全だし進むのに、まわりに見られているから止まっている。
社会的には止まるのが正しいから、みんなから評価されるのが怖くて止まっている状態なんだよね。
確かに社会には一定のルールは必要だけど、「当たり前」で受け入れすぎてしまったり、洗脳しすぎている部分もあるんじゃないかなと思うんだよね。
エゴかもしれないけど、それをもっと開放したいってずっと思ってる。

そう考えた時に、日本の公教育だと限界があると思うんだよね。
言語も一緒だし、文化も統一されているし、突然ダイバーシティになるのは難しい。
そういう風潮は日本の美学でもあるし、時代だって少しずつ変わってきている。
だから、全否定する必要はもちろんないけど、俺が自分の感じている違和感を発信して、それに共感してくれて何か変わる人がいるんだったら、やる価値はあるんじゃないかなって思うんだよね。

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<そうやって小さな違和感を見過ごさずに一歩ずつ進めるようになったのはどうしてなの?>
多分、お父さんの影響がめっちゃ強いと思う。
お父さんは何でも正解を求める人で、今振り返ると俺が間違っていて素直に言うことを聞けばよかったって思うこともあるんだけど、なんでそれが正しいのかわからないまま「正解」になっているものも多かったんだよね。

それはきっとお父さんが新聞記者っていう厳格な仕事をしていたからっていうのもあるのかもしれない。だから、小さい頃からお姉ちゃんと「新聞記者は叩くことが仕事だよね」っていつも話していた(笑)
新聞記者ってニュートラルに事実を述べることもしなければ、中立にもならない。必ずどっちかの立場にたつんだよね。だから、俺ら子供たちの行動についての評価も、否定が強かったなって大人になってから気がついた。

気がついたのは最近だけど、小さい頃からずっとそうで、違和感自体はずっとあったんだよね。
幼いながらに「なんで怒られるんだろう?」って思っていた。
ただ、当時は反論する力がなかったから戦っていないし、「じゃあこうしてみよう」って行動にもできていなかったけど、「その違和感ってなんだろう?」というのはずっと考えていたな。
お父さんには否定されるけど、直感的に「そうじゃなくない?」って思うことがたくさんあったんだと思う。それを表現することはできなかったけど、考えることはずっとしていたのが繋がっているのかもしれないね。

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<大人になって、違和感を言葉にできるようになっていったんだね。
それでは話が変わって、どうしてシェアハウスに住むことにしたの?>

実は、ここに来る前もシェアハウスに住んでいたんだよね。もともとゲストハウス に泊まることが好きで、その日に出会ったメンバーと一緒にご飯に行ったりするのも好きだった。いろいろな人に出会えるのが面白いし、一人でいる意味をあんまり感じなくなったのかもしれない。
ここに引っ越してきたのは、彼女と一緒にふたりで入れる物件が他にあんまりなかったのと、オープニングのタイミングだったから。
前の物件もオープニングで入ったんだけど、やっぱり最初からだと過ごしやすいなって思ったからかな。

<もともとシェアハウスだったんだね!
オープニングから1年経ったけれど、今はどう?>

今でもまだみんなの知らないところはたくさんあると思う!
話すたびに新しい発見があるから、今の方が話していて楽しいな。
仕事をもらったりお願いしたりできるのもすごいいいなって思うし、英語も教えてもらっているし、そういう意味では助かってるよ。

上手くいえないけど、これからはもっと面白いことをしたいなって思う。
140人いるし、全員で仲良くなるのは無理だと思うんだよね。それに、その必要はないと思うし(笑)
ただ、本当はこういうことをお願いしてみたいとか、ちょっと困っているとか、みんなでもうちょっと大きいことをやってみたいって考えている人もいるだろうし、そういうのが少しでもできたらいいなって思うかな。
あとは、みんなで会社作ったりしてみたいね!

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<みんなで会社を作るの面白そうだね(笑)
貴重なお話をどうもありがとう!>


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