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生きづらさを、認める。


ずっと、生きづらさを抱えていた。


父は亭主関白で、家庭の中でその存在は絶対的なものだった。
母は、自分が稼いでいないという負い目からか、この父には何を言っても伝わらないと悟ったからか、口答えをすることもなく父に従っていた。
2人が喧嘩をするところなんて、見たことがない。いつも、母が父に謝る姿だけを見てきた覚えがある。


私は3人兄弟の真ん中だが、私たち3人は幼いころから「自立できるようになるまで、父親のご機嫌を損ねないようにふるまうこと」を母から課せられていた。母自身も、「自分は、女優だから」(※例えであって本来女優ではない)と言って、父の前では父に従っていた。

幼少期、父が怒るのは怖かった。頬をはたかれるのは痛かった。自分が怒られるのではなくても、兄が怒られているとき、母が怒られているときも、怖かった。
父は、他人に対して寛容的ではない。高速道路を走っていて、遅い車が前にいるとすぐに舌打ちをしたり、気に入らないことがあるとすぐに暴言を吐く。レストランで子どもが泣いていると、他人の子どもなのに注意しようとする。焼き肉屋で注文した料理が届かなかったときは、お店の偉い人を呼び出してまで説教をしていた。
そんな環境に、同じ場所にいるのが怖かった。びくびくしてしまうというか、萎縮してしまっていた。でも、それを言葉に出すことはできなかった。黙って、耐えるしかその時は方法を知らなかった。

私は感情表現が苦手。人の顔色をうかがってしまう。これは、幼少期から言葉や感情を押し殺してきたからなのだと思う。
物心ついたときからよく思っていた。自分の思ったことを言えない場所だと、生きているのに生きていないみたいだと。自分の意思や気持ちって、なんのためにあるのだろうと。
子どもが煩わしいなら、作らなければよかったのに。私は、生まれてきたいだなんて、望んでいなかったのに。

これまで、負の感情しか書いていないが、このような環境で生活してきて、悪いことだけじゃなかったと思えることもある。それは、他人の気持ちに気を配れるようになったこと、他人に優しくしたいと思えること、他人に自分と同じような気持ちになってほしくないと願えることである。

だからこそ、他人についてよく知りたいと思うし、異なる価値観でも受け入れたいと思う。

良い意味でも、悪い意味でも、今の自分があるのはこれまでの過去があるから。でも、これからの人生は自分の自由なんだと、ある人が言ってくれた。自分の人生、縛られなくていいんだと。

すぐに変わることは難しい。「自分軸」という言葉はよく耳にするけれど、自分にとってのそれが何かはまだ分からない。

ただ、今は自分の生きづらさに気づけた、それだけでも成長だと感じている。ずっと、過去から逃げてきた。就活が始まり、「自己分析は大事」と聞いていたが、何だかやる気になれなかった。でも、今回自分と向き合い、自分のしんどさとその原因を理解できた。
これを見ないふりしたままでは、また同じことの繰り返しになってしまう。変わりたい、生きづらさから解放されたい、その想いはずっと持ち続けてきた。今、自分のために行動を起こせるのは自分しかいない。
まずは、こんな自分を受け止めて、認めることからスタートしたい。

周りと比較して焦ってしまいがちな自分だからこそ
焦らず、ゆっくり、マイペースに。
明日の自分のためにできることは何だろう。


自分の自己分析メモ

<現状の自分>
・しんどさが染みついている
・他人と比較する・劣等感を感じる
 →自信がないから。自信がないのは、自己肯定感が低いから。
 →自己肯定感が低いのは、幼少期からの積み重ね。家庭環境、主に父親との関係によるもの。物理的には離れているが、縛られている。
・過去を振り返ると、マイナスな感情があふれ出てきて、そればかりひろってしまう

<改善するために>
・負の感情のループにならないためには、切り替えるスイッチが必要。
ex)音楽・ラジオを聴く、YouTubeを観る、小説・エッセイを読む...etc
・自己肯定感を上げるために、自分をほめる。方法はなんであれ、毎日やる。
ex)鏡を見た時に「今日も偉い」と声に出す、その日のいいことを日記に書く、SNSに投稿する、セルフハグ...etc


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