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思い出だけで生きていくという事


たった一瞬の出来事。たった一日で起きた出来事。

短い時間で感じた大きな幸せって、誰にでもあると思う。
それでも、人生はとても長いし毎秒違う景色が流れてゆくから、幸せは毎日更新されていくし、時には大切だった幸せを忘れたりすることだってあるし、幸せを超える悲しみを体験することだってある。幸せはいつまでも幸せの形をしているわけではない。

思い出』だけで、人は生きていけるんだろうか。




「こんな思い出があるおかげで生きられているんです」と言う人と、「こんな思い出があるせいで辛いんです」と言う人がいる。多くの人は、どちらの感覚も知っているのではないだろうか?
それらは、日常に馴染んでいる類の『思い出』だ。

思い出って、良いものでも悪いものでも、意識しないうちに自分の都合のいいように変わっていくものだと思う。決してそれが悪いとかではない。人間、誰しも自分が気持ち良くありたいわけだから。

思い出っていつか忘れてしまうようなものだから有限な気がするけど、いっぽうで「思い出は無限なんじゃないか」と思う瞬間もある。
その時嗅いだ匂いとか、その時自分の中で流行って聞いていた音楽とか、忘れた頃に“それ”がやって来ると、すごくドキッとする。
忘れたはずなのに、きっともう思い出さないと思っていたのに。
風に運ばれてやって来る思い出を、繰り返し再生する。

そういう思い出って、たぶん非日常的な思い出なんだろう。



私にも、非日常的な思い出がある。
私の思い出の中のあの人は、いつでも変わらない姿で私を慰めてくれるから、寂しくなった時に思い出すととても嬉しいけど、とても辛い。

その気持ちが、今はもう救われないものでも良い。とにかく、私の人生の中の『思い出せる人』でいてくれてありがとう。



あなたなんか、現れない方がよかったのかも


誰かの思い出になるくらい素敵な人。
そんな人、呪いだ。良い意味で、呪いだ。
誰かの思い出になり、人を呪うような、そんな素敵な人となんか出会わずに生きてた方がよかったのかもしれない。そう思う日だってあるだろう。

その素敵な人と出会わなかった人生っていうのは、思い出と共に生きない人生であって。

けど、その人との思い出がないからって、多幸な人生になるってわけじゃない。
その人が『思い出』になってしまった理由は人それぞれ違うからわからないけれど、確かにその人と過ごした『』があったわけで。
だから、思い出を思い出す事でその人に対して「あなたのことを知らない方がよかったのかも」と思う気持ちは分かるけど、もし出会わなければあなたの心の中の宝物にも辿り着けなかった。
誰かを自分の心のそばにおいて生きるという、そんな特別なつながりを感じることなんて、幾多の出会いの中のたった数個でしか知り得ない。

あなたが あの時『』を生きていたから。
あの人が あの時『』を生きていたから。

思い出は今、生きている。



誰かの思い出を上回る『今』は、つくれない。
つくろうと思ってつくるものじゃないでしょう、そういうものは。
思い出っていうのは、さりげなく放った人の言葉とか、その日の天気とか、二度と再現できないもので作られている。だから、その思い出の続きを作ろうとしたり、似たような経験をもう一度したいなんて思っても、それらはただのパロディ。自分の中での最高の思い出を超えることは、ない。

人の声や体の温度、雰囲気は誰にも真似できない。思い出を上回れないことを知っているのに、違うこと・違う人で上書きをしてしまう。

だから人は寂しくなる。
思い出だけで生きていけるわけがない、とぼやきながら上書きするんだろうけど、そんなことをつぶやく時点で思い出と共に生きていっているのにね。


人が思い出と生きていくには、素直にならなければいけないみたいだ。

まるで、思い出の中で無邪気に生きている自分のように。
その時の自分は、今の状況がいつかの自分の『思い出』になるなんて思っていないのだから、とてつもなく素直だろう。綺麗だろう。輝きを放っているだろう。

素直になろう。

思い出せるうちに思い出したい事が沢山あるんだ。
もう一度感じたいものがあるんだ。
忘れたくないんだ。

また、会いたいんだ。


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