今の会社で死ぬまで働く理由はあるか
新型コロナウイルス騒動で仕事が激減し、多忙な日々から一転。
家にいる時間を持て余していた時、ある疑問が浮上した。
それは
「一生このまま会社で働く人生でいいのか?」
という疑問だ。
私の日常はこうだ。
朝7時過ぎに家を出て、12時間のデスクワーク。トイレに行く以外はほとんど立つことがないので、夜には足がむくんでだるくなる。
座りっぱなしのせいでヘルニアになったが、デスクワークである以上はどうしようもない。
仕事から帰ると休む間もなく夕食を作り洗濯機を回す。
夕食は手短に。
食事が済んだらまだ胃が落ち着かないうちに入浴。
そして洗い物をしたら0時近く。
ほぼフル稼働なサイクルを1週間に6日繰り返す。
通勤に費やす時間は1週間で約15時間だ。
ところが今年4月、新型コロナウイルスの影響で仕事が激減し生活は一変した。
それまで仕事に持てる力の殆どを注いできた私にとってはまさに拍子抜けだった。
友人たちはステイホーム生活をそれぞれに満喫していたようだ。
ダンスのオンラインレッスンを受け、読書をし、好きなドラマを観まくる。
普段家にいることのない私は、何をしていいのかわからず数週間を無駄に過ごした。
5月に入り、コロナウイルス後の初の給料日。
それまで残業で稼ぐような状態だった私の給料は当然激減。
生活は一気に苦しくなった。
そこで生まれたのが冒頭の疑問である。
「今の会社でそこまでして働く理由はあるか」
今の私なら
「ない」
と答えるだろう。
会社という組織に属し労働してお金を得ることは安定などではないことを思い知った。
会社を船に例えるなら私たちはただの乗客だ。
行き先は船に従うしかない。
航海が安全で穏やかなものだと思いその船に乗るが、海は予想を裏切ることもある。
誰が嵐を予想できただろう。
今回の新型コロナウイルスはまさに嵐だ。
嵐が来ると海は荒れる。高波にさらわれ船から落とされる乗客もいる。
運良く船に残った者は船室にうずくまって嵐が過ぎるのをただじっと待つしかない。
船長が舵を切り間違えたら私たちは船と共に沈むしかない。
私たちの運命はもはや人に握られている。
大きい船だろうと小さな船だろうと、沈む時は沈むのだ。
船底に穴が開いていることに気がついても、その船で私たちに出来ることは何もない。沈没していくのをただ待つばかりだ。
乗った船が悪かったね、と嘆くだけだ。
けれども多くの人が自分で船を出そうとは思わない。
船の操縦のしかたを学ぼうとしない。
今までは私もそうだった。
でもこれからは違う。自分の運命は人任せではなく自分で天気を見て航海に出る。
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