見出し画像

愛してるって言わなくちゃ。夏目漱石「こころ」

かの夏目漱石が I love you. を、月が綺麗ですねと訳せばいいと言ったのは有名な話だ。「こころ」を読み終えた今、それはロマンティックというよりむしろ、脆く儚い言葉に思えてならない。

アラサーにして、初めてきちんと「こころ」を読んだ。自分にも人のこころがあったんだなあと思い出すくらい、涙がぽろぽろ溢れてきた。

きっかけは、夢中になっていた恋愛ゲームの攻略相手が「先生」だったからという頓珍漢なもので、先生のことをうーん、うーん、と考えていたら、そういえば漱石の小説に先生と私の物語があったよなと閃いた。

おかげさまで高尚な文学を読むという気概はなく、それでも色褪せない名作に胸を震わせることができた。何事もタイミングというのはあるものだ。

私は何千万といる日本人のうちで、ただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから。

本作は、いろんな見方があるだろうけど、ひとつに自殺してしまった先生の物語である。先生、と自分を慕う「私」と出会い、誰にも打ち明けることのなかった過去を、遺書として残した話だ。3章立てになっていて、最終章は遺書全文といった形になっている。

信頼していた親戚に裏切られたこと。親友と同じ人を愛してしまったこと。先生を蝕んだ問題は深刻でありながら、現代でもありふれたものである。しかし何より、先生を追い詰めたのは、遺書にするまで誰にも打ち明けられなかったことだろう、と思う。

気高すぎて死ぬしかなかったのだと思うと、バカヤロウである。いや、バカヤロウは私だ。ひどいこと言ってごめんなさい。

空を見上げて「月が綺麗だね」と言うと、隣を歩いていた彼が「え? もう一度」と笑ったことがあった。すぐにしまった、と思って「でっかい月だなあ」「さめざめとして美しい」と言い換えた。恥ずかしかったけど、今思い出しても心があったかくなる。

漱石は偉大な人だ。月が綺麗だね、を愛しているという意味に置き換えた。けれど、それは相手に伝わって初めて意味があるとも思う。

遺書という形でしか、自分の気持ちを吐露できなかった先生を思うと、やっぱりつらい。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?