「心が動いた。だから、書く」この順番を大切にしたい
創作や「書くこと」についての本を読むのが好きだ。自分で手を動かすしかなく、それがいちばん大事って言うのは分かっているけど、先人たちの方法論を知れると思うと、読まずにはいられない。
だから、KinKi Kidsのデビュー曲「硝子の少年」を作詞した松本隆氏の創作にまつわる考え方がまとめられた「松本隆 言葉の教室」(延江浩)が刊行されると知ったときは、早く読みたいなあとワクワクした。すると読んですぐ、耳が(目が?)痛い文章が目に飛び込んできた。
そうやって観てきた映画や読んだ小説、体験したことすべてが表現のもとになっています。だからといって、創作するためにインプットしようとすると、それは不自然。なにかのためになにかをするというのはとても不自然なこと。不純な動機で得た知識は不純な作品しか生みません。
私はnoteの他にも、いくつかブログをやっているけど、時々「順番が逆になっているな」と思うことがある。体験したことが素晴らしくて「書きたい!」 と思うのではなくて、これをしたらブログのネタになるんじゃないか? と打算的に考えてしまうのだ。本心で書きたいと思ったわけではない記事が続くと、「こんなの意味ある?」ってなんだか虚しい気持ちになる。
最近は「これについて書きたいから、このブログを更新しよう」くらいのゆるいスタンスでいるけれど、やっぱりあまりに書くことが見つからないと、焦りみたいな、なんでもいいからとにかく、みたいなモヤモヤとしたものが出てくる。
心が動いたから、書く。それってつまり、何を書けばいいんだっけ?
最近note発の書籍で話題の「書く習慣 自分と人生が変わるいちばん大切な文章力」(いしかわゆき)を読んで、なるほどなあと思ったのがインプットについてだ。アウトプット(書く)のためには、インプットが大切だけど、じゃあインプットって何かと言えば、心が動いた瞬間のことだという。
感情が動いたら、それがインプット。
「インプットしなくちゃ」と、苦手なことやつらいことを頑張ってやる必要はありません。むしろ、それで自分の感情が動いてなければ、あなたの心にはなにもインプットされていないも同然!
インプットというと、知識をいれることのように思いがち。だけど、ふと空をみてキレイだと思えば、そこから書きはじめることができる。あとは自分が素直に書き出しはじめるかどうかの問題で。
「書くか、書かないか、ただそれだけ」だと思う。
毎日更新みたいな形で、縛りを作って書くのはなにか違うなと思っていて、いっちょ前に「ひらめいたら書こう」なんてちょっとしたアーティスト気取りだった自分から、2022年はもう少し脱皮したい。
どんなに平々凡々な毎日でも、心が動かない日なんてない。今年は書くことが目的というより、自分の心の動きに注意深くありたいと思う。
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