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きらきらひかる銀座

どうして銀座って、いつも雨上がりみたいなんだろう。

週末の、歩行者天国になった銀座に立つと、太陽光できらきらとひかるアスファルトに目を奪われる。

まるでこの世の春です、と言わんばかりの解放感。桜や緑があるわけでもないのに、なんだか地上の楽園のよう。車がひとつもなくて、幅をきかせた車道を人たちが悠々と歩いているからかもしれない。

あ、ティファニーだ。プラダだ。シャネルだ。それ自体は珍しくもなんともないのに、知ったブランドショップを見つけると嬉しくなる。きっと初めてランドセルを背負った時も、こんな感じだったのだろう。小さな発見を繰り返しながら、前に進んでいく。

雨上がりもいいけれど、静かな雨がしんしんと降る銀座もドラマチックだ。

まるで無声映画の世界に入り込んだような静けさ。雨粒も、音も、すべてアスファルトに染み込んでいく。

黒い傘をさした男性の手には、真っ赤なレディースバッグ。若い男性はビニール傘越しに曇天を仰ぎみる。雨降る銀座では、街並みよりも行き交う人たちに焦点が当たる。

車道にあふれだした、傘をさす人たちは、まるでどこかから逃げてきたようでもある。どこかに向かって歩いている、という気がしないのだ。ただ彷徨っている。そんな感じ。

きっと雨の銀座を歩いたせいだ。お目当てのカフェで、コカトゥー島の話をした。シドニー湾に浮かぶ、かつて囚人たちが収容されていた島の話。

なんにもない、白い鳥だらけの無人島だった。観光客も私たちしかいない。いまは観光地としてキャンプができたり、ミステリーツアーが開催されていたりするらしいけど、ただただ何もない、抜け殻のような世界が広がっている。

海の向こうには、別の岸が見えている。見えているのに、泳いで渡るには絶望的な距離。海に向かって、ぽつんと置かれたベンチは、それを分からせるためだったのではないかと思う。

濡れたアスファルトが銀色にひかる雨の銀座。まるで迷子であふれたみたいにみえる街並みが、帰ることのできない囚人たちがいた島と似ている気がした。


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