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恐怖の気配を滲ませた霧のなかを歩く「薔薇のなかの蛇」(恩田陸)

霧。その一言からはじまる「薔薇のなかの蛇」は、恐怖の気配に満ちている。恩田陸の作品は“不穏”がひとつのキーワードだが、不穏とは、気配のことではないだろうかと本作を読んで思った。

霧。それは読書と似ている。仄暗く視界の悪い道を、ひとりぼっちで進まねばならない心細さ。立ち止まってしまいたいと心は願い、早く抜けてしまいたいと体は急ぐ。もう引き返す道も分からず、霧を掻き分けるように進めば、いよいよ不安の正体が形を成し始める。

どうしよう。ただ淡々と、滲み出る恐怖の気配だけを感じながら、ひとりでオールを漕ぐしかない読書の世界に引きずり込まれるこの感じ。恩田陸作品、やっぱり好きすぎる。

舞台は英国、後ろ暗い歴史に彩られた貴族の館「ブラックローズハウス」。当主によって一族が集められた10月の終わり。近くの遺跡では頭と手首を持ち去られ、胴体を真っ二つにされた死体がひとつ。そして館のなかでも、死の気配を帯びた事件がひとつ、またひとつ。

世間を騒がせる猟奇殺人と、館内で起こる事件は関連があるのかないのか。そして館に招かれた東洋人、リセ ミズノとは何者なのか。

言うまでもなく、本作は恩田陸を代表する“理瀬”シリーズの最新作だ。もちろん本作からでも、本作だけでも十分楽しめる。この作品を入り口に、理瀬シリーズをさかのぼるのも楽しいだろう。

禍々しく、美しい娘。それが、リセだ。あらゆる文章技法には形容詞を避け、具体的に書けとあるけれど、恩田陸に限っては、そんなまわりくどさは必要ないとしみじみ思う。

禍々しい、美しい、陰鬱、不吉。洪水のように押し寄せる不穏な言葉は、シンプルがゆえに不純物を含まず、毒の精度を上げていく。過剰な描写があるわけではないのに、すぐそばで息を殺す悪意の気配に胸が痛くなる。静かであればあるほど、恐怖は恐怖たりえるのだ。

霧。その先には、たしかに何かが潜んでいる。その気配がとてつもなく怖い。

けど、進まずにはいられない。霧。重い霧。気づけば、恩田陸ワールドを彷徨うことになる。そして現実に戻ってくると無性に恋しく、懐かしくなって、またあそこへ戻りたいと、願うのだ。


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