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美とはーー。「美男におわす展」で自分の性癖あぶり出された

「美人画というと女性ばかり。…男性版があってもいいじゃないか!」を実現した埼玉県立近代美術館の美男におわす展。

一聴すると、耽美な香りただようこのタイトルは、かの与謝野晶子の歌からつけられたものだ。

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
美男におわす 夏木立かな

美男に、おわす。おわすは尊敬語で、「鎌倉の大仏ってお釈迦様なのに美男でいらっしゃるのね~」という意味。ちなみに企画者の意図的には、さまざまな美男をかぎ分けてほしい、という「匂い」の意味も掛けているらしい。

美男。びなん。辞書を引くと、顔かたちの美しい男。

与謝野晶子が鎌倉の大仏に美男像を求めたように、なにを美とするかは人それぞれだ。「美男におわす展」では、浮世絵や日本画、マンガ、現代美術など、優に100を超えるあらゆる作品から、日本の視覚文化の美男像をたどる。

逞しいもの、儚げなもの、耽美なもの、一途なもの。あらゆる美男像が一堂に会した空間の凄まじさたるや、いっぺん自分のなかの美男像を溶かし、再構築するくらいの衝撃である。

本展の顔になっている川井徳寛氏の「共生関係~自動幸福~」。赤薔薇を背に散らし、白馬にまたがった美男が、うら若き美少女に手を差しのべている。

一見では、おとぎ話のフィナーレにふさわしい、白馬の王子さまご到着、といったところか。しかしよく見てみると、美男を取り囲む天使たちは、全員がストローのようなチューブを口にくわえ、美男が咲かせた薔薇の蜜を吸っている。

そして左下にうずくまる悪魔に剣をかざし、成敗しようとするのは、天使。

改めて、この作品のタイトルは「共生関係~自動幸福~」である。少女の視点からすれば、この美男はまさに白馬の王子さまである。とはいえ、美男自身が何かをするわけではない。戦うのは、彼の美しさから力を得た天使たち。逆に言えば、天使もまた美男がいなければ、悪魔を倒せるかどうか。

まさに、もちつもたれつ。共生関係であり、この調和が保たれる限り、幸福は続くのだ。美とは、正義なり。

個人的には、あまりに調和がみごとで、美男がそのひとつに組み込まれている様子に、美とは飾り、という印象も受けた。美男の視点に立ったとき、彼はなんだか、空っぽのような気もする。転じて、美とは孤独、とも言えそうだ。

美男とは。正義であり、飾りであり、孤独であり。考えるほど、増殖する。

展示会を後にし、改めて与謝野晶子の美男像に立ち返ったとき、これらに欠かすことのできない絶対要素は「目が離せなくなる感覚」ではないかと思った。

結局、美しさとは主観である。自分が何を美しく思い、目を奪われるのか、自分の性癖をあぶり出されてしまうような、ある意味でおそろしい展示会であった。…白状すると、私は木村了子氏の美人月下図がどうにもこうにも、頭にこびりついて離れなくなってしまった。

風呂上がり、首にタオルをかけただけの裸体。手には牛乳瓶。ちょっと年齢を感じさせる、お尻。

なんだろう、これって美男? と、最初見たときはどっちかっていうと、困惑を感じたのだが、深い恋に落ちる前の第一印象は…というやつだ。

美男とは、熟れた色気であるーー。

お土産には、川井徳寛氏の「Sleep collector」のポストカードを購入した。雪積もる森のなかで、西洋っぽい金髪の少年がリードをたくさん持っている。その先につながる生物たちは、深い眠りのなか、という幻想的な美男画だ。

危うげで、どこか恐ろしいこの美少年の心のうちはいかほどか。妄そu…想像が広がる、素敵な1枚だ。

※写真は撮影OKのものを掲載させていただいています。

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