第2話-「床と家訓と涙と料理」

 処刑人候補の小学生・山村アンリの相棒(バディ)兼保護者となった、俺・川原幸介。
「あなたは何も手伝わなくていい」と言うアンリの実力を見せつけられはしたが──体術勝負は持ち越しということになった。
 俺は果たして、相棒兼保護者として1年間やっていけるのだろうか。

 屋敷で暮らし始めた、初日のことだ。
 夜中にふと、目が覚めた。ドアの前に誰かが立っている──そんな気がしたのだ。
 この山村家の屋敷には、アンリ、執事である鵜飼の爺さん、そして新たに迎え入れられた俺の3人しか住んでいない。
 アンリの両親が健在だった頃は鵜飼の他にも複数の使用人がいたらしいが、事情があったのだろう。鵜飼以外は、すべて解雇してしまったらしい。
 そういうわけで、誰か立っているとしたらアンリか鵜飼なのだろうが……古い屋敷である。幽霊という可能性も十分にある。非科学的なことを信じる方ではなかったのだが、俺は自らに降りかかる説明のできない不幸を目の当たりにし「人の力ではどうしようもできない何かがある」となかば諦め、受け入れるようになってきた。
 とはいえ、気づいてしまった以上放っておくわけにもいかない。泥棒という可能性もあるし、そうなれば"死神"よりはバウンサー(用心棒)である自分の出番だろう。

 寝巻きの上からカーディガンを羽織り、そっとドアを開ける。
「誰もいない……か」
 廊下を見渡すも、そこには静寂があるだけだ。
 俺はそっと廊下へ忍び出ると、階下を目指した。

 だが、1階の応接室やリビング、さらにトイレと回ってみても誰もいない。結局俺はキッチンにたどり着き──そこで、地下室への通路が開いていることに気がついた。
 屋敷の地下には武道場や処刑人の仕事道具などが置かれた保管庫があるらしいが、それ以外のことはまだ知らない。地下への階段は普段は隠されているし、泥棒が簡単に入り込めるとは思えない。しかしここの家長が亡くなったことは世間も知るところだし、大人のいない隙を狙って万が一のこともある──と、緊張を保ちつつ足を進める。

 地下を進み、ようやく明かりの漏れる部屋へ辿りつく。
 だが、誰かいるのか──と声を出しかけた矢先、突然、後ろから口元を押さえられた。
「────ッ!!」
 思わず暴れかけた腕を的確に押さえられ、「お静かになさいませ」と声がかけられる。その声に聞き覚えがあり力を抜くと、ようやく拘束がほどかれた。
「鵜飼の爺さん……なんでここに」
「それはこちらのセリフでございます。この家の財産を狙っているのであれば、見当違いとだけ申しておきましょう」
「ざ、財産……?」
 本気で戸惑う俺をしばらく見つめ、鵜飼の爺さんは「違いましたか。これは失礼」と茶目っ気たっぷりに笑った。
 明らかに誤魔化されようとしているが、俺に気づかれずに背後に立ったこと、それなりに鍛えているはずの俺を的確に無力化したことから、この爺さんはただの執事ではない。
 アンリとの手合わせといい、爺さんに押さえ込まれたことといい、今日は自信をなくすことばかりだ。

 結局事情を話して、ただ職業上、泥棒を警戒しただけだと納得してもらえた。鵜飼の爺さんが何をしていたかというと、訓練中のアンリが倒れたりしないよう、見張り兼飲食の世話係ということらしい。
 アンリに気づかれないよう訓練場へ入ると、そこにはライフルを構え訓練に没頭するアンリの姿があった。アンリは射撃用のイヤープラグをしているため、少しくらいの話し声は気づかれそうにない。俺は遠目に彼を見つめながら、鵜飼に話しかけた。
「訓練って言うけど。いつもこんな時間に?」
「それが……ご両親が亡くなられてから、眠れない日が多いようで。そんな時は、余計な思考を振り払うよう訓練に没頭されているのです」
 ああ、と腑に落ちる。俺にそんな素振りは見せないが、彼なりに苦しんでいるのだろう。長く続いてきた一家の跡取りとして、俺が想像できないくらい抱えるものもあるはずだ。
 だが、とひとつ気にかかる。
「そんなこと、俺に話して良かったんですか? あいつは嫌がりそうだけど」
 鵜飼は「そうでしょうな」と頷きながらも、こう言った。
「執事としてのわたくしなら、坊ちゃんを立てるべきでしょう。ですが……わたくし個人としては、何より坊ちゃんの幸せを祈っております」
 ですから、と一度言葉を区切り、鵜飼はしっかりと俺を見据える。
「貴方は、坊ちゃんの相棒となり、保護者になる方。わたくしは、そう信じております」
 だからこそ、俺にアンリの状況を知っておいてほしいのだと──彼の目は、そう訴えていた。
「…………1年間限定、ですけどね」
 あまりに真っ直ぐな視線にいたたまれなくなり、俺はつい誤魔化してしまう。
 アンリ自身も、彼が抱えるものも、1年で抱えるにはあまりにも大きいものだと感じてしまったのだ。俺はただ任務で彼の相棒となり、報酬のために彼の保護者となって後押しする。本来、それだけでいい。いいはずなのだ。

「……そうですな。1年をどう過ごされるかは、貴方の自由です」
 過ぎたことを望みました、と鵜飼は詫びる。
 俺が何か言おうと考えている間に、ずっと鳴っていた射撃音が止まった。
 アンリがこちらに来るのか?と一瞬慌ててしまったが、彼はある場所で立ち止まり、ずっと下を見ている。
 訓練場の床はすべてタイル製だが、よく見ればその場所だけ古い木の床であるということが見てとれた。
「あれは?」
「山村家の遠い祖先……シャルル=アンリ・サンソンが、かつて自分が崇拝した王──ルイ16世を処刑したのは、ご存じですかな」
 俺は頷く。今回の任務にあたり、山村家のルーツに関わる情報はなるべく頭に入れてきたのだ。
「あれはルイ16世処刑当時、実際に処刑台に使われたもの──その床板を加工して、埋め込んだものなのです」
 かつて伝説の処刑人が立った場所に、自らが立つ──その行為によって、山村家の当主は自らの血が持つ歴史やルーツを思い起こす、ということなのだろう。無論、今のアンリが何を思っているかは、俺に想像できることではないけれど。

 そこに、アンリの声が聞こえてきた。
「──我らが求めるは悪人の血にあらず」
 彼は祈っていた。かつての処刑人が立った場所で、おそらくは、彼だけの神に。広々とした空間に、アンリの声だけが響く。
「我らが求めるは悪人の血にあらず、その罪を断ち切ることのみを望む」
「どうかその手を──。どうか……」

 その先は、どうしても言えないらしかった。
 アンリは決心したように訓練を再開し、俺と鵜飼はしばらくの間、それを見つめていた。
 無心で銃を撃つアンリが表情もなく静かに涙を流しているのには、気づかないふりをした。

 あとで知ったことだったが、アンリが唱えていたのは両親から伝えられた家訓であり、正確には、このような言葉だった。

『我らが求めるは悪人の血にあらず、その罪を断ち切ることのみを望む
 どうかその手を、憎しみで汚すことなかれ』──

 その翌日が、俺たちバディの初仕事となった。

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