第3話-「最初のターゲット」

 俺──川原幸介が山村家にやって来た、翌日の朝。
 食卓の上には、トマトとモッツァレラのカプレーゼとオイルパスタを添えたサラダ、高そうな食パンを熱々に焼き上げたもの──と、冷蔵庫の残りものを最大限に活用した朝食が並びつつあった。
 今は、目玉焼きとカリカリに焼いたベーコンを作るため卵を常温に戻している最中だ。
「見事なものですねえ」
 感心する鵜飼がキッチンで余計なことをしないよう「アンリを呼んでくれ」と頼んでおく。
 昨日目にしたトマトの無惨な姿により俺以外の料理技術はゼロだと理解した俺は、健やかな食生活のため自分の腕をふるうことにしたのだった(なお、あのトマトはソースとして活用された)。
 料理には自信があるが、これは「外食に行くと自分の注文だけ忘れ去られる」「注文と全然違う品が運ばれてくるが忙しそうなので言い出せない」という自分の不幸体質に由来するもので、特に自慢できるものではない。

「おはようございます。あの、食卓のあれは?」
 鵜飼が呼ぶまでもなく起きていたのだろう、すぐにアンリが入ってくる。
「あなたは手を出さないでください、とか?」
 つい、意地の悪い発言をしてしまう。
「いえ。……もう、そこまでは思っていません」
 言い返してくる予想は外れ、ばつの悪そうな表情だ。昨日の手合わせを経て、少しは俺を認めたということなのかもしれない。
「ただ……こんなことをしてもらっても、あなたが本当の保護者になれるわけじゃないので。理由がわからなくて」
 言葉は生意気だが、トゲはない。なるほど、人からの厚意をどう捉えていいかわからないのかもしれない。
「深い意味はない。下手な食事を続けて仕事相手に倒れられたら困るし──」
 できれば俺も、潰れたトマト以外のものを食べられると嬉しいし。
 俺の言葉にアンリは納得したらしい。自分の皿くらいは食卓に持っていくと譲らないので、アンリのぶんの二連の目玉焼きとベーコンは本人に託すことにした。

「おや。川原様のお皿は、スクランブルエッグですか」
「いや、これは自分の分を失敗しただけですね……」
 いつものことだと説明しつつ、朝食をとる。
 俺の不幸は、俺だけに降りかかる。なので、自分以外のぶんは普通に上手くできるのだ。
 アンリは黙々と食事をしていたが、食べ終えたあとで「……悪くありませんでした」と一言だけ感想を述べた。
 料理に関しては俺に任せたほうが良さそうだと満場一致で可決され、今後の食事は基本、俺が担当することとなった。他の家事は全て鵜飼がやると言って聞かなかったが、できるだけ手伝うということで合意がとれた。

「さて、そろそろ本題です」
 完全にルームシェアのための会議になりかけていたところで、アンリが口火を切る。そうだった。そもそもの目的は、アンリを正式な処刑人として押し上げることだった。
 アンリの話と、俺が上司から聞いていた話を合わせると、重要なことは以下の通りだ。

・1年間の間に、指名手配犯のうち3人を捕縛すること。
・正式な処刑人になる前は実弾の使用、及び現場での処刑はできない。
・よって、麻酔銃や遠距離型テーザー銃(ワイヤー射出式スタンガン)の使用が主となる。

「なるほど。試験と言っても、実際に処刑するわけじゃないんだな」
「死刑を執行できるのは任命された人間だけ。矛盾しているようですが、そういう仕組みなんです。理解できたなら、さっそくターゲットの情報を──」
 そこで鵜飼が、「ひとつ、よろしいでしょうか」と口を挟む。
「アンリ様。大切なことを、川原様にお伝えしておりません」
「なんだ?」
「それは──」
 鵜飼が俺に向き直る。
「試験の条件を満たし、処刑人として認められた暁には──アンリ様は山村一族を束ねる当主として君臨する、ということです」
 思わず俺は口を挟む。
「山村一族をって……この家の家長ってだけじゃなく、全国に広がる処刑人一族をってことか? それって……」
 鵜飼は何か言いたげなアンリを制しながら頷き、話を続ける。
「アンリ様のお父上は、山村一族の当主にあたる方でした。ですが、現在その座は宙に浮いた状態……1年のうちにアンリ様が処刑人として認められなければ、他の者が受け継ぐことになるでしょう」
 なるほど。アンリはまだ子どもだし、それなら別の大人がその座に就くほうが自然だ。
 だが、アンリはそれを良しとしなかった。何か理由があり、あくまで自分が父親の座を受け継ぐつもりで試験に挑む──ということなのだろう。

「……反対、しないんですか」
 テーブル越しに、アンリが俺の目を見る。不安が半分、疑いが半分、というところだ。恐らくは他の大人から、無茶だと何度も反対されたのだろう。
 あるいは、自分こそが当主になろうと狙う者もいたのかもしれない。
「俺の任務は、お前を試験に受からせること。受かりたい理由は、関係ない」
 半分は本心、半分は建前だ。
 何故なら俺は昨日の夜、ひとり涙を流すアンリを見ている。悲しさからか悔しさからかはわからないが、何か譲れない理由があるのだ。そこに立ち入っていくほど野暮でもなかったし、そんな勇気もなかった。
「わかりました。……では、ターゲットの情報を共有します」

 その日の夜。俺とアンリは連れ立って現場に来ていた。
 ターゲットが違法取引をするという廃ビルの情報を聞きつけ、その隣のビルから狙撃する(もちろん実弾ではない)作戦だ。
 情報の正確さに疑問を持ちはしたが「鵜飼からの情報ですから」と一蹴された。鵜飼の爺さんは両親の仕事も手伝っていたそうで、アンリは全幅の信頼を置いているようだ。

 その信頼の甲斐あってか、間もなくターゲットはやって来た。
 護衛は5名。見るからに屈強な男たちで、互いに一定の距離を置きつつ警戒している。
 任務の障害となる者には同じく麻酔銃やテーザー銃の使用が認められてはいたが、よく見るとインカムで常に連絡を取り合っている様子だ。そのインカムはそれぞれの肌に合わせたカラーで合わせられており、俺たちのいる距離からだと見えづらい。
「アンリ。インカムが見えるか? ひとりでも攻撃すると全員に気づかれる可能性が高い」
 アンリは一瞬不思議そうにこちらを見たが、すぐ察したように頷いた。「意外と役に立ちますね」と聞こえたが、ここで言い争っても仕方がないので「そうだろう」と返しておいた。何せ俺は、大人だからだ。
「安心してください。最初にターゲットを狙いますし、早撃ちには自信があるので」
 アンリは落ち着いた様子で、特注のヴァイオリンケースから銃のパーツを取り出し組み立てている。気づかれたとしても奴らが対処するまでに終える自信がある、ということだろう。

 ただ、俺にはひとつだけ気になることがあった。昨日こっそり見ていた射撃訓練、そして先ほどのインカムへの反応──とはいえ、アンリに自信があるのだ。ここはお手並拝見といこう、と覚悟を決めた。
 しかし────。

「銃撃だ!」「どこからだ!?」「麻酔銃を使ってるってことは──ガキだな。行け、隣のビルだ!」
 現場はまさに、蜂の巣を突いたような騒ぎだった。
 アンリが初撃を外したのだ。
 正確にはターゲットの上腕を掠めたのだが、掠めただけでは麻酔の効果は低い。相手が動き始めたのもあり、その後撃った2発も、惜しいところで当たらなかった。
 こちらのビルの階段から足音が聞こえ、戦闘態勢にならざるを得ない。アンリは銃を入り口に向け直すが、ビル内は暗く、彼には不利な状況に思えた。

 そう、アンリは恐らく、目が悪いのだ。
 昨日の訓練中、アンリはわずかに的の中心を外していた。人を殺さないためにわざとやっているのかと思ったが、彼が涙を流し始めてからは一変し、全弾が命中していた。涙は覚悟の証かと考えたものだが、なんのことはない。涙がレンズの代わりとなり、彼の視力を一時的に上げていたのだ。
 となれば、俺がやることはひとつ。
 俺はスーツの上着を脱ぎ、近接戦闘に備えて深呼吸をした。
 だが、アンリは首を振る。
「僕にやらせてください」
 驚いた俺を、アンリは切実な表情で見上げる。
「僕がやらないと──あなたが戦って任務を達成しても、それは僕の力じゃない」
 言いたいことはわかる。だが、俺も黙っていられない。
「なんで目が悪いって黙ってた!?」
「言う必要ありました!?」
「いやあるだろ、だって──」
 だって俺たちは、バディなんだろう──そう言いかけて飲み込んだ言葉を、アンリはちゃんと察したらしかった。怒号と足音が迫る。

「…………ごめんなさい」
 アンリは頭を下げる。
「でも、僕がやらなきゃいけないんです。だから……協力してください」
 もはや、答える必要はなかった。ドアが開き、男たちが乗り込んできたからだ。
 アンリの背中側に駆け寄り、瞬時に男たちとの距離を測る。先に上がってきたのが3名、数メートル後方の階段から2名。ターゲットは恐らく、隠れているのだろう。
「早撃ちには自信あるって言ってたよな」
 アンリが頷くか頷かないかのうちに、俺は叫ぶ。
「左から10時、12時、1時方向! そこから24度右、ドアの影にひとり!」
 4人の男が一瞬で倒れ、追いついてきたひとりは予想外の状況に狼狽えた。
 その隙を逃さず撃ちたいところだったが、アンリの手が止まる。テーザー銃の弾切れだ。
「つッ!」
 男が撃った弾丸が俺の頬を掠めるが、弾切れも怪我も予想の範疇だ。
 俺はスーツの上着を相手に投げつけ、それが絡みついた隙にアンリが麻酔銃に持ち替える。
「今だ、2時方向!」
 アンリの反応は素早く、男はスーツを被ったまま仰向けに倒れ込んだ。
「「──よしっ!!」」

 その後隠れていたターゲットを見つけ出し、俺たちは目的のための一歩を踏み出すことになる。
 しかしその成功の影で、俺たちを良く思わない連中も動き出しているのだった──。

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