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受け取らず、施さない -もっと楽に生きるための考え方-

仏教には不受不施派という宗派があります。「不受不施」は「ふじゅふせ」と読みます。
本当の意味は、法華経信者以外からは施しを受けず、施しもしないという日蓮宗の一派の考え方であり、簡単に言うとたとえ時の権力者であっても信者でなければ無視する、みたいな感じです。権力との結びつきを志向していた仏教界では異端な考え方で、非常に弾圧された宗派でもあります。本当の意味はここまで。

この「不受不施」なのですが、文字通り「受け取らず、施さない」意味に受け取ると、生きるのが楽になります。

例えば、完璧主義の人。
完璧主義の人は必要以上に高い目標を設定し、万事が整った状態を目指し努力する特徴や性格を持っていると言われています。自分に厳しく、他者からの評価を気にする傾向があります。うつ病になりやすいタイプです。
これは、他者からの評価を「受け取ろう」として、必要以上に「施そう」としている状態です。
ギブアンドテイクと言い換えれば、テイクを求めようとしてギブを無限にやろうとしているのです。
ならばこう考えたらどうでしょう。

受け取ろうとするのをやめてしまう。
そうすれば、施さなくてよくなります。

完璧主義の人を追い詰めているのは、実は「施す」ために頑張っているからではなくて、あるかどうかわからない他者評価という不安定なものを「受け取ろう」としているからです。自分でコントロールできないものを目的にしているから、受け取れない限りどこまでも施さないといけなくなってしまう。だから、どこかで受け取ろうとするのをやめるしかないのです。

周りを見渡してみましょう。
あなたほど完璧にしようとしていない人でも、普通に生きていますし、生きられるのです。
それは必要以上に受け取ろうとしてないからで、受け取るのをやめれば施さなくてよくなるのです。

完璧主義以外でも、おそらくあなたの悩みの解決に「受け取らず、施さない」考え方は使えます。
なぜなら、人間の悩みというのは、全て人間関係に起因するものだからです。
「嫌われる勇気」で話題になったアドラー心理学は、個人で完結する内面の悩みは存在せず、「人間の悩みはすべて対人関係の悩み」と断言し、「宇宙に他者がいなくなり、自分一人になれば、あらゆる悩みも消え去るだろう」といいます。
つまり、他者からの評価を受け取ろうとして、施そうとするから悩みというのは発生するのであり、悩みを解決するためには、どこかで受け取るのをやめてしまう必要があるのです。

本当に施さなくていいのか、施すことをやめると嫌われないかと不安になるかもしれません。
大丈夫です。
そう考えている時点で、あなたはそもそも施すことを完全にやめることができません。
長年染みついた習慣というのはそう簡単に変えることができないのです。
全てやめてしまうんだと思っても、やってしまうはずです。
あなたの変化は、周りからは見えない程度のものです。
だから、「もう受け取らなくていいんだ、施すのをやめてしまうんだ」という強い意識を持つくらいでちょうどいいんです。

最後に。
私は、皆さんに他者のことを考えない、自己中心的な生き方をしてほしいと言っているわけではありません。
強く受け取ろうとしない方がいい、それは自分の限界を超えて施すことになる、と言いたいのです。そして、実は受け取ろうという強い気持ちこそが、自分の幸福に他人を使おうという自己中心的な考え方なのです。

悩んだときはこう考えて下さい。
自分は、必要以上に受け取ろうとしていないか?
悩むと言うことは、無理をして受け取ろうとしているのではないか?


あなたがより楽に生きられることを願っています。

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