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「黄昏泣き」にヒトの本質を垣間見る

こんにちは。
西園寺えるです。

今日は、黄昏泣きについての気づき。

金曜の夜に書いた記事です。
これがきっかけで土日月、と頭がぐるぐるしています。

また、あくまで私の気づきなので、参考程度にお楽しみください。

夕方に泣いてしまう黄昏泣き

黄昏泣きとは、文字通り黄昏時(夕方)に、赤ちゃんが泣きだして泣き止まない現象のこと。

息子も例に漏れず、よく泣きました。

何をしても泣き止まない。

ネットで調べると、「原因はよくわからないけど、世界中の赤ちゃんみんなそうだから気にするな、気に病むな」的なことが書いてあります。

当時は、目の前で泣かれるのが辛くて辛くて、夕方になると私も憂鬱になったものです…。
(そのあと十分に眠れない夜も来ますし。)

ここ数日の息子に話を聞いた

ここ数日、そんな黄昏泣きめいたことが起きています。

でも、4歳近い息子。
赤ちゃんみたいにギャーンと泣くわけじゃないのです。

「もう夕方なの?」

と聞かれて肯定すると、目を潤ませて

「悲しい…」

と。
口をへの字にして、泣くのを我慢。
なんて健気なんだ…

はじめは、悪夢を見るのが怖いんだろうな、と優しくなだめていましたが、それだけじゃない感じがする。

「夜がこわいの?」
「もうすぐ遊べなくなるのがいやなの?」
「なんとなく…いやな感じ?」

わたしが思い当たるものを言語化して聞いてみると、頷きながらしっとり涙をこぼします。

「それはね、せつないって言うんだよ。」

息子にまたひとつ、新たな感情を伝えました。

幼少期、夕暮れって本当に切なかった

夕暮れに郷愁を感じるひとは多いと思います。

思い出してみて、子どものころ。

家の中にいて、だんだん空が暗くなっていくの、なんだかこわかった感じしませんか。

暗くなり家の中の明かりがついて、外が見えていたガラス窓に自分の顔が反射するようになる時間。

自分が、未知のものにゆっくりと包まれていくような。

なんだか、泣きたくなるほど胸がぎゅっとしませんでしたか。

ああ、息子はアレを感じているんだな、と思いました。

おとなになって、そこまでの切なさを日々自然から感じることはなくなってしまったな、とも、思いました。


子育ては、こういうことを思い出させてくれる。


さて。
感傷に浸っていたら、ぴーんときたわけです。

「ああ…これユングが言う集合的無意識だな」
「なんかヒトの本能を感じるな」

「興奮してきた!!!!!」

次のふたつの見出しまでは見てってください。
専門用語みたいなものは使いません。

人間にとって夜はこわい

現代人はすっかり忘れてしまったけれど、電気やガスがないころのヒトにとって、夜ってとても怖いものですよね。

大昔の人類の視点で、夜を考えてみると。

周りが見えない。不気味。
夜行性の動物に襲われるかも。
火を絶やさないようにしないと…
見張りが必要だ。
雨風をしのいだり、寒さから身を守らねば。

…などなど想像できます。

こわいですよね。
生命をおびやかすこわさです。

寝てたら命を落とすかもしれないんだから。

赤ちゃんにとって夜はこわい

今度は視点を赤ちゃんに移します。

赤ちゃんは、眠いのに寝ません。
抗います。
しょっちゅう寝ぐずりします。

うまく眠れないのです。
(もちろん個人差はありますよ)

いろんな不快ポイントを整えても、
なーにをやっても泣き止まなかったりするのです。

検索魔だった私の心に残っているのは、
「赤ちゃんは目をつぶって寝た後、朝自分の目が開くかどうかわからない。翌朝目覚める確信を持てないから、寝るとき自分はもう目を覚まさないのではないかという恐怖を抱く」らしいこと。

もし、根本的に「人間は夜がこわいから」だとしたら?

赤ちゃんが特別なんじゃない。

私たち現代を生きるおとなのほうが、人類の歴史の中でよっぽどイレギュラーな存在なのでは?

だってもともと、寝て起きたらなにも変わらない翌朝が来ることなんて、なんの保証もないんだ。

人類は遺伝子的には突然変異を起こさず、ここまで発展したと最近本で読んだ。

狩猟時代の遺伝子情報を持っているんだから、夜がこわいのはあたりまえだ。

人間の遺伝子が、「夜はこわい」と記憶している。

現代を生きるおとなが、忘れてしまっただけだ。

集合的無意識という概念

集合的無意識というのは、とっても簡単にいうと、人どうしが何らかの方法で伝えなくても、もともと共通して持っている認識のこと。

「太陽はすばらしい」とか、
「風はここちよい」とか。

まったく離れた土地で、同時期に同じような宗教が発展したりすることなどもこれにあたる。
交流のなかった地域の曼荼羅がそっくりだったりとか。

それこそ「夜はこわい」わけです。

そこまで詳しくないので、ボロが出る前に切り上げよう。

心理学的アプローチをすると集合的無意識で黄昏泣きは説明できるかもしれない。

それともごちゃごちゃ考えずに、狩猟時代と同じ遺伝子をいまも持っているんだから、遺伝子レベルで決まっていること、と言う風に理解してもいい気がする。

ハチが教わらなくても巣を強力なハニカム構造で作れるのとおんなじ。

夕暮れはせつない、あたりまえ。

夕暮れはせつない、あたりまえ。

夜はこわい、あたりまえ。

そんなヒトとしてあたりまえのことを、いつから私たちは「よくわからなく」なってしまったのか。

「黄昏泣き」とか、「寝ぐずり」とか、現象に名前だけ付けて、本質を見失ってしまったのではないか。

こういうことは、私たちがなかなか気づかないだけで、この世界に山ほどある。


さて、この記事は内容に反し真夜中に書かれています。
文明の発展に感謝。
全然眠くない。

夜に感覚がやたら鋭くなり頭が冴えることがあるのも、もしかして交代制で見張りをしていた狩猟時代の名残だったりして…?

大興奮の現場からは以上です。

それでは。

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