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猫背の女 後編

「お腹痛いの?」

少し眉毛を寄せ、心配そうな表情を浮かべた美しい顔が、
私の顔を覗き込む。

???

「痛くないです」(けど、なんでそんなこと聞くんだろ)

けど、なんでそんなこと聞くんだろ、の部分を汲み取った彼女は、

「背中丸めて、お腹痛いのを我慢しているように見えたから。大丈夫ならいいの」

と言って、颯爽と立ち去った。


時は流れ、大学生だった私は、あるメーカーでの営業職を経て、お隣の国、韓国の航空会社で客室乗務員という仕事を始めていた。

客室乗務員を目指すと決めたのは、社会人2年目になった頃。
決して子供の頃からの夢、という訳ではなかった。けれど入社試験の合格を手にし、異国の地での訓練を無事に終えて乗務を開始したばかりの私は張り切っていた。
そして、誰もがイメージするであろうCA像を「私なりに」体現しているつもりだった。

だから「お腹が痛いのではないか」と心配されてしまったことは、心外であった。
と同時に、「姿勢」とその人の「健康状態」すなわち「生命力」みたいなところは関係があるのだな、と感じた。

そして、今から思えば、その気づきはその後の進む道を決める分かれ道でもあった。

お隣の国、韓国。そこに住む人達は髪の色も、目の色も日本人と大きな変わりはない。
外国人からしてみれば、日本人も韓国人も、そして中国人も同じように見えているのだろう。

私自身も、お互いの外見の近さもあってか、韓国という国で働くことに対して抵抗もなく、また不安もなく海を渡った。
一度、観光旅行で行ったことがある。食べ物が口に合うこともわかっている。きっと大丈夫。

それは今から20年前の2000年の秋。飛行機で2時間弱の韓国ソウル。
当時は、物価も日本より安く、時間の合間を縫ってショッピングやグルメを楽しんだ。

中でも、夢中になったのは化粧品だ。今でこそ、韓国コスメは日本でも大ブームだけれど、当時の日本には韓国メーカーの化粧品はそんなに入ってきていなかったと記憶している。

当時の韓国では「女性は美しくあるべき」という考えが強かった。
客室乗務員という職業に就く女性は、殊の外その意識が強く、
常に「美しくあるために」できることを実行していた。

そんな隣国で驚いたことは、「背がスラリと高いこと」も美しさの基準のひとつであることだ。

背が高い同僚達の中でも、私は身長が高いほうだったが、それを褒められる。女性だけでなく男性からも。

日本から持ち込んだ「女の子は小柄でなければ可愛くない」という考えを徐々に手放した私は、24歳から27歳の3年間で身長が2センチ伸びた。でも、そこに悲しさはなかった。かえって、自分らしさを表現するための、神様からのプレゼントだと感じた。

(航空会社に就職した後、大学時代の男性の先輩達と話をした。私が「少し背伸びすれば、飛行機内の上の棚に手が届く」と言ったら、「CAさんが座席の下のちょっとした引っ掛かりに脚をかけて、一生懸命棚に手を伸ばす姿が可愛い」と返され、やっぱり少しだけショボンとした)

韓国の女性達はみんな元気である。声も大きいし、表情も豊かだし、喜んだり悲しんだり、なんだか生きてる、って感じがする。

歴史の違い、考え方の違い。外見が似ているからこそ、もどかしさを感じたり、首を傾げたり、衝突することもあったけれど、それでも人に恵まれて、私はしっかり生きていた。

生き始めたら、姿勢を褒められる様になった。

客室乗務員になることを反対していた父は「人が変わった」と言った。
以前と比べ、表情が豊かになり、明るく話すようになっていた。

世の中には文化の数と同じだけの「美の基準」がある。
国によって、時代によってその基準は異なるけれど、人間が動物である以上、「生命力を感じる」外見こそが、人種や時代を越えて持つ美の基準であるはずた。

いつしか、そう考えるようになっていた。

韓国で経験した人生の大きな別れ道。
その道の続きを歩む私は、現在「姿勢・声・表情」を通して、「自分の身体を、魅力を使う」ことを伝えている。

姿勢、声、表情。どれもその人が持っている「生命力」の表現だ。

誰にも遠慮することなく遠慮なく背筋を伸ばし、笑ったり泣いたり表情豊かに、そして力強く響く声で生きる。そんな生き方がしたい。

姿勢を変えることで、心も生き方も変わる。

もし、身長や外見を気にして苦しくなっているなら、
引き換えに生命力溢れる美しさを手に入れよう。

その美しさは、きっと世界基準だ。

Photo by Masako Sakuragawa


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