【日記】紫雲丸事故って、しってますか

どうも、アややです。
毎晩カエルさんが大合唱する季節がやってきました。
私も負けないように声を張り上げようと思います。(?)

突然ですが、皆さんはに乗りますか?

最近はあんまり乗らないですよね。
私も、最後に乗ったのは10年以上前な気がします。
比較的海の近くに住んでいるので、部屋の窓から
「お~船だ~」となることは度々あるのですが・・・。

今朝も部屋の窓から船が見えました。
その時に「書きたい!」と思い立ったことがあるので
今日はそれについて書こうと思います。

1.ごがつじゅういちにち

5月11日、そんなに気したこと無い日だと思います。
今Google先生に聞いてみたら、「ご当地スーパーの日」って
教えてくれました。なんじゃそれ。

5月11日、それは、愛媛県民なら忘れてはいけない日。
といっても、多分知らない人の方が多いです。
なので、このnoteを見て少しでも多くの人に知ってもらいたいと思います。

5月11日、1955年のその日、瀬戸内海で船と船が衝突しました。
そう、紫雲丸事故です。
愛媛県での船の事故といえば、2001年のえひめ丸事故
記憶に新しいですが、それよりも もっともっと昔のお話です。

5月11日、紫雲丸事故により、
168名の命が失われました。
その中には、私が6年間通った小学校の先輩が29名います。

2.おじいちゃんの先輩

私のおじいちゃんも、同じ小学校出身です。
まあ、おじいちゃんの家の近所で生まれ育ったんで、
当然と言えば当然なんですけど。

紫雲丸事故で亡くなった29名は、
おじいちゃんのひとつ上の学年だったそうです。

「『いってらっしゃい!』とみんなで送り出した先輩が
半分近く帰ってこなかった、みんなボロボロだった」
おじいちゃんから直接聞けたのは、それだけです。
そのおじいちゃんも、数年前に先輩たちのところに行ってしまいました。

私の地元の人たちは、あまりこの事故の詳細を語りません。
そのくらい、残酷な光景だったんだと思います。


3.命を考える日

この紫雲丸事故を風化させない為に、
わたしとおじいちゃんが卒業した小学校では
毎年5月11日に『命について考える集会』を開いています。

地元の人も、遠方にいる遺族の方も多く参加し、
小学校の敷地内にある「みたまの塔」に花と黙祷を捧げます。

今年はコロナ禍の影響で、
集会自体は在校生のみの参加となってしまいましたが、
5月11日のみたまの塔の前はお花でいっぱいです。

子供らが逃げ遅れた理由として、修学旅行の帰途であったため、家族への大切な土産等を失うまいとしたこと、周囲の大人たちに押されるなどして素早い脱出が難しかったことがあげられる。また救命胴衣の収納庫は子供には手の届きにくい位置にあり、入手できなかった子供もいた。船員らは手近の子供たちに救命胴衣を配布したが、使い方がわからなかったり、身に付ける暇もなく海中に放り出された子供が多かったことも被害を拡大させた。
(引用:紫雲丸事故<wikipedia>)

本当に悲しい出来事です。
でも、これを「悲しい」と思うだけでは何の意味もありません。
自分たちが今生きていることのありがたみ、
家族を愛する気持ち、命の大切さ、本当に大事なものは何なのか。

そういうのを心に刻み込んで、毎年5年生が5月末に修学旅行に旅立ちます。
私が在校していた当時は、5年生を修学旅行に送り出す前に、
『いってらっしゃいの会』みたいなのも開かれていました。今はどうかな?

4.さいごに

私の通った小学校では、夏の水泳の授業の中で、
着衣水泳と救命胴衣の使い方を教わります。

泳げない子でも、できる限り泳げるように。
もし泳げなくても、救命胴衣がきちんと使えるように。
救命胴衣が使えなくても、一人で浮けるように。

先輩たちが教えてくれた「だいじなこと」です。

このnoteを通して、船をネガキャンするつもりは一切ありません!
今は通信機器とかも発達してるので、
客船が事故を起こす確率はほぼゼロに近いと思っています。

なによりも私が知ってもらいたいのは、
そういう事故があったことを忘れないでほしい
水泳の授業、嫌いかもしれないけどちゃんと受けてほしい、
綺麗事かもしれないけど、命を大事にしてほしい
ということです。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

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