曖昧さを受け入れる心の器を育てる

画像1 山あいの祖父母の家まで、幼い頃とてつもなく長いと思っていた山道は拍子抜けするほど短くて。好きな感じに富士山が見える場所を探してあてもなく歩く。キモチイイ。風と鳥の声。あ、好きなアングル見っけ。。。そうやって"今"を感じながら頭のどこかで、誰かや何かについて考えていることも、喜びも切なさも温かさも苦しさも、入れ替わりクルクルと心にあることも。わかっていて、そのままである。〝割り切れない〟じゃなくて"割り切らない"という選択。

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