そろそろGHQのせいにするのはやめよう。日本に必要なのはコーチングマインドだ。


「そろそろGHQのせいにするのはやめよう」これは2月21日にゆめラジオさんにてYouTubeにアップロードされた動画だ。

前提、僕は日本が大好きだ。靖国神社にも参拝する。
今の日本の停滞感も苦しく思っている。自分たちの国は自分たちで守ろうという意思がないように見えるこの国の空気も大っ嫌いだ。

僕のような、考えや主義、主張をする人のことを「保守」という。ここ最近では様々な流派があるように伺える。バラバラになった保守言論人。

それでも、保守の中には日本の戦後民主主義の体制をGHQのウォーギルドインフォメーションプログラムのせいであるという言説を目にする。

前述したゆめラジオさんのYouTube動画では「いい加減、GHQのせいにするのは辞めた方がいい」という主張だった。今の日本の低成長は決してGHQのせいではなく日本人、自身のせいであるということ。これを認めなければ経済成長はできないし、歴史や教育の歪みは直せない。

正しくその通りである。

戦後日本の高度経済成長は当然、日本人の頑張りもあったと思う。だが、その反面、吉田ドクトリンをはじめとする「防衛は後回しにして経済成長を取る」「防衛はアメリカに頼る」という中で経済に集中できたことも大いに戦後日本の経済成長を支えてきた一つ要因である。


日本人は経済成長をするために「自分たちの国は自分たちで守る」を捨てたのだ。もちろん池田勇人のように「まずは経済その後に憲法改正、自主防衛だ」と考えていた人たちもいたと思う。だが、そうはならなかった。

保守を自称する者には度々三島由紀夫を礼賛する人たちもいる。そういう者たちは三島事件での「檄」の内容をちゃんと理解しているだろうか?三島をちゃんと評価できているだろうか?少なくとも三島由紀夫を礼賛したいのなら、この国の戦後民主主義をGHQのせいにしてはいけない。

なぜなら、日本人の意思が何よりも大切だからだ。

「いやいやそもそもその意思をコントロールされるように仕組まれたのがウォーギルドインフォメーションプログラムだろ」とあなたは言いたいんだと思う。

しかしどうだろうか?三島が「果たし得ていない約束」の中で書き残した

日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。

1970年(昭和45年)、『サンケイ新聞』(夕刊)7月7日

あの頃は経済大国だった。しかし今はその経済大国からも転げ落ちている。戦後日本が歩んだ道だ。これすらもGHQのせいだろうか?

何度も言う。

大切なのは日本人の意思なんだ。

これは個人的な感想だが日本人の国民性は戦前も戦後もそこまで変わっていないだろう。

言ってしまえば戦前の日本軍も戦後の官僚機構も同じ行政組織で役人なのだ。

そして、戦後GHQに奪われたと言われる「日本」や「日本人」も元々は明治維新の劇的な国の変化によってアイデンティティを失っていたのかもしれない。

日本を日本人を取り戻すというはとても複雑な問題なんだと思う。正直言えば僕がここで語れるほど簡単な話ではない。

しかし、僕には夢がある。それは「日本人が日本に誇りを持てるようにすること」である。

そのため僕はコーチングという手法を使ってこの国のマインドを変える。生き方、在り方を変えたいと思っている。

さぁ、あなたはどう生きる?
この国で。

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