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メタ・バラッツ 信州素材でやさしいカレー教室@下諏訪に行った時のこと

去年12月のこと、8ヶ月しかまだ経ってないだと思う。
それぐらい今では「スパイスでカレーを作る」が当たり前になった。

きっかけになったのは、このスパイス店との出会い。

そして、この話をカレー屋「ヒゲメガネ」を営まれてる友人の豊田さんに共有したところ、

「スパイスに興味あるなら、今度一緒にこのカレー教室行きませんか?」とこちらに誘ってもらったんです。


ただ、正直最初は戸惑いました。笑
ド素人の私がプロの豊田さんが行くカレー教室に行って良いものなのか。
そして、メタ・バラッツさんとはどんな人なのか。

その後、豊田さんから「かなり凄い人です(笑)このあたりの記事、よかったら読んでみて下さい!」と言われて読んでみると、

バラッツさんの祖父は、マハトマ・ガンジーと共にインド独立運動を戦った闘志である。ビジネスの面でも、原料をそのまま外国に売るのでは独立とは言えず、自国で製品にまでしてから輸出することが大事だと会社を興す。その後、父であるアナンさん(写真右)の時代に来日し、やがてカレー粉やスパイスを手がけることに。現在は100種類以上のスパイスを中心に、豆や紅茶なども扱っている。力強い目をしたアナンさんは、まるで簡単に答えの出ない問答をする神様のようなオーラをまとう。

・・・なんか、凄そう。。よし!
「是非一緒にお願いします!」と10名の狭き枠の中で参加してきたのです。

そんなこんなで約8か月前ですが、、、

当日の様子はこんな感じ。(@マスヤゲストハウス)

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かなり凄い人と聞いていたので、開始前はちょっと緊張してましたが、スパイスの歴史なども織り交ぜて話しながら、料理するメタ・バラッツさんはとても優しそうな雰囲気でした。

メタ・バラッツさんがしてくれて特に印象が残っているのがコロンブスの話。調べてみたらWEB上にもありました。

これはコロンブスが意図的に間違えていたのかもしれないとも思える。
大西洋を西へ進めばインドにたどりつけるのではないかと考えたのは、なにもコロンブスだけではなかった。しかし、本格的な探索には莫大な資金を必要とする。そこで、コロンブスはスペインのイザベラ女王を説得して、多額の資金援助を約束させたのである。
コロンブスがイザベラ女王を説得するために使ったのが、新航路による香辛料貿易の膨大な富と、黄金の国ジパングだったのだ。
こんな大風呂敷を広げて資金援助を受けているのだから、いまさらインドにたどりつけなかったなどと言えるはずがない。そのために、彼はトウガラシを「ペッパー」と言い張ったのかも知れない。そしてコロンブスは、アメリカ大陸発見の後も自分が発見した場所がインドであると主張し続け、黄金の国ジパングを探し続けるかのように、死ぬまでアメリカ大陸の探検を続けたのである。

1つ1つのスパイスにヒストリーがありそうだなぁと思いつつ、カレー教室では参加者も具材を切ったりと参加形式。

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味付けや段取りなどの部分はメタ・バラッツさんが解説付きで料理。

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途中スパイスを絡めた副菜も作って頂き、ビュッフェ形式で参加者が取っていきます。

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この日は2種類のカレーと信州野菜とスパイスを使った副菜。
それをワンプレートにして美味しくいただきました!
(お皿の色がカラフルで楽しい)

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当日の様子は主催のMJ(明星舎)さんのInstagramにもアップされてます。


この日までは「カレールーで作るカレーは簡単」と思っていましたが、この教室を経て「スパイスで作るカレーも意外に簡単」という風に今考えるとなぜか思ったのです。もちろん、こだわればスパイスカレーの深さはどこまでも深いと思うのですが、基本的なスパイスカレーで良い。と割り切ってしまえば、ハードルがぐっと下がると感じました。

またお土産がこの4種類のスパイス。せっかく教室まで行ったし、スパイスももらえるなら、これは作らなきゃと思って、習慣化していきました。

さらに今調べてみると、この教室で教わったレシピも公開されているようです。興味がある方は是非お試しください!


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