【連載】随想録 第2回「角刈りと陸上部長距離」 - ほぼ月刊「庄内わぐわぐ随想録」
皆さま、こんにちは。阿部彩人です。高校卒業までは「何も無い」田舎だと思っていた酒田を飛び出して上京した少年が、38歳となる年に自らUターンし「わぐわぐ」が溢れる日々に至るまでのストーリー。今回は中学時代前半の話です。
酒田市立・北平田小を卒業し、すっぱりと相撲と野球の道を諦めた私は、酒田市立・平田中(現在は酒田二中に統合)で陸上部に入部し長距離選手の道へ。長距離を選んだ理由は、私が小学6年の時に、酒田市の光ヶ丘陸上競技場で開催の陸上大会で、当時、松原小6年で女子走幅跳に出場した池田久美子さん(後に女子走幅跳の日本記録=当時=をつくり2008年北京五輪に出場した現・井村久美子さん)の5メートルを超える大ジャンプを目の当たりにしたからです。圧倒的な能力差を見せつけられた私は、短距離・跳躍系での限界を感じ、自分でも地道な努力次第で勝負できそうな長距離選手の道を選択しました。それに加え、毎年正月の箱根駅伝では早稲田大学を応援する熱狂的なファンとなったことや、小学5年の1991年に東京で開催された世界陸上の男子マラソンで谷口浩美選手が金メダルに輝いたこと、1992年に開催されたバルセロナ五輪の男子マラソンで森下広一選手が銀メダルを獲得した走りに感動したことも、長距離選手を目指す一因となりました。
平田中の陸上部で長距離部門の部長は、2つ上の3年生・田中新さん。新さんは中平田小出身で、小学校時代はそこまで飛び抜けて足が速い方ではなかったそうですが、積み重ねた努力で平田中の長距離エースにまでのし上がった人。穏やかで優しい人格者かつ実力者で、しかも直角に近い鋭い「角刈り」の髪型がかっこいい、まさに憧れの先輩でした。
当時の平田中では頭髪検査があり、男子の髪の長さは両手の中指の第二関節を重ねた二本分(2~3センチほど)までだったため、男子で最もおしゃれな髪型が「角刈り」だったのです。私は新さんの角刈りに憧れて、漆曽根にあった理髪店・松浦さんや、お隣の上田地区の集落・上野曽根にあった「ホント」という理髪店に行って、「とにかく、鋭い角刈りにしてください」とオーダーしておったものです。最初はほぼスポーツ刈りだった私の角刈りは、徐々に鋭さを増し、直角に近くなっていきました。
新さんは、放課後の部活では常に全力で取り組み、先頭で練習を引っ張る姿勢を背中で見せてくださいました。ある日、「ビルドアップ」という徐々にペースを上げていくキツい練習メニューで、手を抜いて後ろの方でたらたら走っていた私は、練習後に新さんから「彩人、もうちょっと出来んなさ、余力残して走ったんねあんが?」というようなことを言われました。全力を出し切っていなかったことは、新さんには全くのお見通しだったようです。
憧れの先輩から、まさに図星の鋭いご指摘を賜り、それからというもの、私は目の色を変えて全力で練習に取り組むようになりました。次に「ビルドアップ」が行われた時、先頭集団に最後までついていく姿勢を見せた練習後、新さんから「彩人、よぐやた。いがったぞ。」と褒められたのが、めちゃくちゃ嬉しかった記憶があります。
新さんは、中学校があった中平田地区・荻島という集落内の約600メートルの周回コースを朝練で毎朝7周以上していました。私は新さんの角刈りのみならず真摯な姿勢をも見習い、毎朝まだ薄暗い早朝4時半に起きて、それより早く起きた母親が作ってくれた弁当をたないで(持って)、チャリで中学校へ。朝練で毎日5周以上走るようになりました。新さんは中学卒業後、酒田東高校に進み、最近では酒田駅前の「月のホテル」支配人を経て、2023年12月より個人事業主「RCマネジメント」の屋号で、コンサルタントとしてホテル旅館業のご支援をされているとのことです。
私は、中学2年になった頃には、酒田・飽海の中学駅伝大会で、平田中の花の1区を任されるほどになりました。しかし、膝に痛みが生じても「走れば治る」と信じて走り続けた結果、身長が162センチで止まるという代償も。その愚直な練習姿勢を評価されたのか、陸上部の長距離の部長を仰せつかりました。新さん達の黄金時代から一転、その下の学年から低迷していた平田中陸上部の長距離を建て直そうと、とにかくハードな練習を毎日課した結果、長距離のほぼ全部員が練習をボイコット。部活の時間に部員達が勝手にサッカーに興じたり、走る練習中にも、部員達が始めた石投げ遊びを止められなかった結果、石が下級生の頭に当たって流血騒ぎになったりなど、惨憺たる状況となり部活崩壊の危機となりました。その事態を重く見た私は、自ら責任をとって部長を辞めることに。私よりも人望があった同学年の実力者が代わりに長距離の部長となりました。そこから、私自身にとって中学卒業まで続く暗黒時代の幕開けとなったのです。その中で私の心の拠り所となったのは、音楽であり、B'zでした。それについては次回綴りますので、お楽しみにの~。
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