【短編ライト文芸】『人生の針』
「あなたが改善するべきところはまず3つあります」
恋愛というものは大抵、どんな場合においても遠距離みたいなものである、といったのは誰だったかな。
片思いでも、両思いでも、心の距離はいつまでも縮まらない。本当にその通りだ。
そんなことない、わたしたちは通じ合っている、と思っている人。では試しに相手がいまどうしたいか当ててごらんなさい。あるいは、なにをしたくないか当ててごらんなさい。なにひとつ通じ合っていないことがわかるから。
「もう一度いいます。あなたが改善するべきところは3つあります。ひとつはあたまに浮かんだことをそのままいってしまうことです。もっと包んで、建前と本音を分けてから、頭の中で一巡させて口に出してはいかがでしょう」
カウンセラーはやや視線を逸らしながら、そうぼくに提案してきた。
「自分ではそうしているつもりですよ。発言するまえにちゃんとオブラートに包んで、検品して、耐久性のチェックを行っています」
「だったら、なぜ前回、あのような発言をしたのですか?」
なんのことだったけな。思い出せない。
「たしかに彼にも落ち度はあります。あなたのそのオレンジ色の多い服装に難色を示した発言をした。オレンジ色の服に、黒とか黄色とか赤とかギラギラした装飾品は合わないと。ええ、彼はカラーコーディネーターの資格を持っています」
ぼくはあのとき何っていったんだっけ?
「覚えていないですか?あなたは『人の色にケチつけるくらいだから、さぞおたくは色鮮やかな人生をお過ごしなのでしょう。最寄りの駅が5km先にあるこの場所に、車を使わずにわざわざ自転車を使っていらっしゃるのには、きっとなにか理由がおありなんでしょうね』と相手にいったのです」
「そんな言い方したでしょうか」
「しましたよ」
カウンセラーは、ひどく不快な表情を見せた。たぶん、朝食抜いたのだろう。
「ふたつめ。あなたはたしかに約束の時間に遅刻をしないし、毎日決まった時間に、決まった通りの、習慣を大事にする人間だ」
「ぼくにとって習慣というのは、辛い人生を忘れさせるための数少ない手段のひとつです」
「しかし、その習慣を少しでも他人が阻害するとあなたはどうなる?」
「どうなる?もちろん、ぼくの人生の通り道の邪魔をする人間にはちゃんと伝えますよ。存在が不愉快である、と」
カウンセラーは深くため息をついた。眼鏡を一度取って、目をこすった。おそらく昨日の夜あまり寝ていないのだろう。
「いいですか。あなた以外の人間も、あなたと同じように習慣を大事にしていたりするわけです。これはわかりますか?」
「わかりますよ」
「たとえば習慣というのを、道を走る車に例えてみましょう。あなたが走る車と、相手が走る車。譲り合わなければどうなる」
「取り返しのつかない事故につながる危険性があります」
「わかっているなら、あなたはもう少し自分の運転に余裕を持つべきではないですか?」
「それはわかります。しかし先生、ぼくは」
「あなたは同じ寮に住む、隣の部屋の新内さんが、あなたがいつも使う洗面所をたまたまあなたが使うタイミングより先に使っていたとき、あなたはなんていいましたか?」
たしかあれは、1週間くらいまえだっただろうか。
ぼくはあのとき何っていったんだっけ?
「それも覚えていなんですか、まったく。いいですか、あなたは『そこはぼくの場所なんだから、さっさとどけよ。いくら洗っても、その顔の汚れは落ちないんだぞ。なぜならそれは鼻といって呼吸器官のひとつなんだ』といったんです」
「そんな言い方していません」
「いいえ。新内さんのほかにも、その場にいた人間が同じ証言をしています」
「いやいや、新内さんと他その場にいた連中はきっと聞き間違いをしたのでしょう。ぼくは『顔を洗うくらいなら、もっと他に洗うところがあるだろう。例えば人の定位置を勝手に使って譲ろうとしない根性の汚さとか、禿げたうえにシミだらけになった頭皮とか』っていったはずです」
「あなたねぇ」
カウンセラーは、ひどく落ち込んだように顔を曇らせた。きっとパートナーとの関係がうまくいっていないのだろう。
「いいでしょう。最後にもうひとつあなたの改善点を述べましょう。それは、」
「それは?なんです、はっきりいってくださいよ、先生」
「口が悪い。はっきりいって、あなたの口の悪さには寮の人間はみんな非常にうんざりしている」
「それはひとつ目の改善点と似ている」
「いいえ。ひとつ目の改善点はあなたの軽率な態度についてです。そして今回は軽率な発言の内容そのものについてです」
「ぼくには同じように聞こえますね。問題点を無理やり増やしているよう思える」
「これでも問題点を厳選したつもりです」
そういってカウンセラーはタブレットを取り出し、やや震えた手で画面を何度かタッチした。仕損じたのか、イライラした様子でいくつかの動作を何度かやり直している。やはり朝ご飯を抜いたのがいけなかったのだ。
「これはわたしが、あなたの住む寮の、わたしの受け持っている依頼人からのいくつかの証言をメモしたものです。読み上げても?」
「オブラートに包んで、検品して、耐久性のチェックも忘れずに」
カウンセラーはかまわず続けた。
「6月11日。曇りのち雨。被害者は秋下さん。就業時間終了後にあなたより『たばこを吸うならもっと離れてくれ。金をかけて死に向かっているやつなんてろくでもない。いいか、次にぼくに近づいたら、あんたの葬式の予約をしてやるよ』」
「それのどこが改善すべきなんだ。仕事終わりの気の利いたあいさつじゃないか」
「7月2日。雨。被害者は梅沢さん。3時の小休憩時にあなたより『なぁ、知ってるか、トイレが長いやつは出世しないんだってさ。でもあんたは大丈夫だ。手早く済ませている。すごく早いからあっという間に出世するだろう。でも回数は多いからすぐに尿路管が詰まって、おそらく社長になるころには、経営に行き詰まるだろうな』梅沢さんは膀胱炎を患っているのです」
「それは知らなかった。けどこんなのは単なる言葉遊びです」
「まだあります。8月18日。晴れ。被害者は生田さん。朝のラジオ体操ときにあなたより『今日はよく晴れたな。いい天気だ。隣にあんたがいなければ最高の朝だよ』これは今までいちばんひどい」
「先生。今日はそんな話をしに来たんじゃないんです。ぼくはそろそろ結婚したいと思っている。ご存じのように、この辺一帯は工場地帯で、女なんて近づきもしない。車を飛ばして街に行かない限り、女らしい女なんていやしない。先生はそういった面倒もみてくれると聞いている」
「だから申し上げているように、あなたは結婚するまえにいくつか改善するべきところがある。はっきりいってあなたのその欠点を治さない限り、結婚なんて無理でしょう」
「欠点を補う合うために、結婚ってのはするのでしょう?」
「一丁前にそんなこといって。では聞きましょう。あなたは、人生のパートナーに何を求めますか?」
「まず、ぼくの生活のリズムを乱さないこと。トイレの掃除は毎日すること。味噌汁にジャガイモは入れないこと。車の運転ができて、たばこを吸わなくて、花札のルールを知っていて、贔屓にしている野球チームをもっていない、それでいて1カ月に1度は姿を消してくれる可愛い人です」
「いるわけないでしょう」
「そんなのわからないじゃないですか」
「あなたには、人に対する『愛』というものがないんですか」
「『愛』には実態がない。あいにく実態がないものでぼくが信じるのは、悪意だけです」
「いままさにわたしの目の前には悪意を実態化したような人間がいるのですがね」
カウンセラーはなにやらボソボソとそうつぶやいた。
「とにかく、あなたに紹介できるような女性はいません。これだけははっきり申し上げておきます」
カウンセラーは机の上に出してある、タブレットやノートやらを片付け始めた。今日はここまでだといわんばかりに。
この先生とは分かり合えない。ぼくはそう結論をつけ、席を立つことにした。
「白石さん。あなたは人生のペース配分を間違えている。どうしていまさら結婚相手を探そうと?」
「そろそろ結婚する時期が来たと思ったからです」
「白石さん。あなたはね、もう人生の後半に差し掛かっているんですよ。それをお分かりで?」
「それを決めるのはぼくです」
「そうですか。ならせいぜいがんばってください。いいお相手がみつかるといいですね。そしてその相手と欠点を補い合えるといいですね。ところで今年であなたは何歳になられたんですか?」
「78です」
「どうかお幸せに」
「どうも」
【解説】
ゲスの極みの名曲『人生の針』。これはほんと出だしから名言を吐きまくって、しかもマイナーコードのキャッチーさでスタートするという、こういうのが好きな人にはたまらない楽曲ですね。この楽曲はどちらかといえばプログレっぽい方向性で、劇場チックというか、シアトニカルな部分がありますね。ドラマチックで目まぐるしく、とにかく飽きない作りになっていると思います。
短編の話ですが、けっこう笑える作品になったかと思います。曲をイメージして書いてはいるんですけど、筆の方が先に進んでしまって、途中から曲のことは全然意識していなかったんですけど、完成してみるとなんか不思議と楽曲の歌詞とこの短編のストーリーに不思議なシンクロが発生している。だからこの短編読んだあとは、上のPVを見て歌詞を読んでみるとまた面白いと思いますよ。
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