大人の鎧はもういいかも・・・①
まるで動物園
小・中は地元の公立、高校は県立の進学校で、割と同質の仲間としか触れあってこなかった私にとって、大学で出会った仲間たちは、ぶっ飛んだ人が多く、まるで動物園のような環境でした。
大学は建築学科専攻だったので、芸術肌の人も多く、常識から外れている、ぶっ飛んでいる人に対する免疫は、その頃培われたような気がします。
一方、私は「常識的であること」をとても重視する家庭に育ったので、
子どものようにワガママで
人には気を遣えないし
社会に適合しないような個性的な人たち
を見て、とても驚いたことを覚えています。
さらに、「そんな風に振る舞われたら迷惑だ、困った人たちだ」くらいに思っていたと思います。
でも、今思えば、それこそ突き抜けた建築家になるには、この「子どものような無邪気さ」を発揮できることこそ才能だったんだろうなぁと実感します。
社会適合者でいるために
結局、平凡で一般的な発想の枠を超えられないに私には、このまま建築家の道を突き進むのは無理だと早々に悟ることになります。
偏差値軸の受験競争を勝ち抜いて入ってきた人がほとんどだったので、一握りの有名建築家を育てようとする教授からすれば、単に受験に勝ち抜いてきただけの純粋なお利口さんは、ミジンコ程度でしかなかったようです。
建築を学ぶことは楽しいし、好きだったから、建築家の道を突き進めなかったことは、私にとって挫折でもあったけれど・・・
結局、私は、常識的な社会適合者として生きるのが自分の道だと思って、外資の大企業に就職することになります。
実際入ってからも、その道が自分には合っていたと実感することも多く、厳しい外資の会社で力を発揮することが楽しくもありました。
謎の馬力
ストイックに課題をクリアしていくような性格なので、目の前に山があると登りたくなっちゃう、勝負したくなっちゃう、傍から見たら、「なんでそこまで」と思われるようなヤバい人でもありました、笑。
早くから、管理職候補のフラグも立てられて、アメリカへの海外赴任のチャンスももらったり、30代前半で管理職の打診があったり、たぶん、キャリア的には順調だったのだと思います。
でも、どこかでレールに乗せられて走らされている感はあり、恐ろしく忙しくもあったので、心の奥底では「もっと平和に働きたい」と、ずっとモヤモヤがくすぶっていました。
それでも、結局20年もその会社に居続けることになったのです。
忙しさで放心状態になりながら、機械のような効率マシンになって働き続けました。
ワーママになってから10年はさらにきつかったけれど、どこから湧いてくるかわからない謎の馬力で、ずっと走り続けていたのです。
どこかで、「世間で評価される王道を歩めている」という自負が、それを成り立たせていたのかもしれません。
厳しい環境だからこそ、ここから振り落とされないで食らいついていられるなら、それが価値だと、他の世界を知らぬまま突き進んでいました。
鎧が重苦しくなってきた、、、
こうして、社会の理想像に適合するように、常識的で聡明な大人でいるための鎧を幾重にも重ねて自分を成り立たせてきたように思います。
「社会適合」消耗ループ・・・
でも、結局はそこに留まっていられなかった・・・
この鎧を着ているのが相当重苦しくなってきたのです。
再び「子どもの無邪気さを存分に発揮する大人」に出会ったときに、私の張りつめていた糸がプチンと弾けてしまったのです。
~長くなったので、続きは次回に~
『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』
最後までお読みいただきありがとうございました。