「なんとなく○○」が私の正解!?
今までの私、
「なんとなく」
という感覚は、一番信頼ならないものだと思っていました、笑
そんなふわっとしたもの
そんな根拠のないもの
そんな得体のしれないもの
信頼していいの?
と。
もう、新卒から20年いた外資系企業のせいでしょうか・・・
「根拠は?」
「エビデンスはあるの?」
「それ、ロジカル?」
などなど
そういう回路で思考することを訓練されてきたので、、、
根拠のない決断は「ヤバイ」という本能が発動しちゃうのです、、、
でも
思い返してみると
自分のことは、結構今までも直感で判断してきたことも多かったんです
それなのに、、、
何か「役割」や「責任」を担っていると感じた時には
客観的な事実、論拠に基づく決断を
自分に課すようになっていったようです
会社での判断はもちろんのこと
「母親」「妻」という役割においても
自分の「なんとなく~」で決断するのは
”あってはならない”と捉えていたように思います
自分の「なんとなく~」なんて
独りよがりな気がして
ちゃんと説明できないし、、、
特に子育てにおける様々な選択においては
どこかで根拠を求める思考癖が
ゴリゴリ働いていたように思います
「自分の選択が子どもの将来に影響してしまう・・・」
と、ロジカルな決断をするよう責任を自分に課していたのです
例えば
少なからず煽られ情報だとわかっていても、、、
合格率
〇歳臨界期説(英語耳が育つのは〇歳までという説)
子育て成功ノウハウ
的な実績や論拠があると思われる情報を信頼して、選択をしようとしていました、、、
しか~し!
その結果、ズブズブと子育ての悩みの沼にはまっていったのです><
「なんとなく、子どもの反応がイマイチ・・・」
「〇歳からやらせるなんて、なんとなく違う気がする・・・」
と、「なんとなく」のモヤモヤを感じても
それは完全にただの気の迷いだと思って
シャットアウトしようとしていました、、、
本当はその感覚こそ
リアルなのに・・・
最近になって、ようやく
この自分の「なんとなく」こそ
一番信頼できるのかも?
そんな風に
思うようになってきました
ここ1年位の間にご縁を頂く方々は
みんなそうやって
自分の感覚に従って
軽やかに
ひょいっと
流れにのって
楽しく生きている!
そんな風に感じるのです
この「なんとなく」が
流れを示すサインであるとすれば
それが私にとって正解のはず!!
どうりで、外の情報からどんなに論拠を集めたところで
自分にとっての正解など見つけられないのですよね、、、
(そもそも完璧な論拠なんてありようがないですしね)
私みたいに
「ゆるふわ」に抵抗を感じる人こそ
「なんとなく~」の選択を、超絶おススメしちゃいます!(笑)
『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』
最後までお読みいただきありがとうございました。
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