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大人の鎧はもういいかも・・・②

前回の話の続きになります。

内側でゴソッと何かが動くような出会い

社会適合の鎧を重ね着するかのごとく、常識的で聡明な大人でいることを重視して、20年間走り続けてきたところに再び出会った

子どものような無邪気さを存分に発揮する大人

大学時代から社会人生活を経て、世間の評価軸に沿って常識的に生きることがもう重く息苦しくなってきた頃。

ある女性起業家との出会い

その時の出会いは、大学の頃とは違い、

この人

  • エネルギーがみなぎっているなぁ

  • 軽やかで自由でいいなぁ

  • 私も、ああやって羽ばたきたいなぁ

と感じさせるものでした。

会社ではなかなか出会えない・・・
だって、会社って、みんなどよ~んと疲れているし、
バリバリやっているように見える人も、相当ストイックに馬力を出しているように感じて、とても軽やかさなんて感じられなかった、、、

会社の環境は年々厳しくなるし、そこから振り落とされないようにしているだけでも、激しく消耗するような生活。

定年と同時にキッパリと辞めてやる!
でも、まだあと20年もある、、、

と、へとへとな気分で毎日を過ごしていました。

仕事は辛いけれど、我慢料もらってるから仕方ない、、、とか、もっと大変な人いるよね?とか、なんとか自分をなだめて続けているところがありました。

でも、その女性起業家は言ったのです。

「仕事を仕事と思ってないところあるし、ゾーンに入って仕事しちゃうから、全然辛くないよ」

と。

「マジですか〜?」
「そんな仕事観があるの〜?」

と、自分の中で「ゴソっ」と音を立てて何かが動いたような感覚でした。

それから1〜2年の間に起こった私のライフシフトは、この時の出会いがきっかけになったことは間違いありません。

思い起こしてみれば・・・

今までも、起業している人との接点が0だったわけではなく、一番身近には、姉が20代の頃に起業していたのです。
会社員だけが当たり前とは思ってはいなかったけど、姉とは性格も違うし、ちょっとぶっ飛んだ感じとか私にはないし、ああはなれない、私は会社員としてやっていく方が合っているんだよなぁと、ずっと思ってました。

でも、今考えれば、姉も、都市銀行をさっさと辞めて、海外に渡り、あまり事業計画とかリスクとか考える前に、走り出していたのです。

姉も「やりたいからやる!」みたいな、子どもっぽい無邪気さを持っていたんだなぁと今更ながら思うのです。

きっと同じような出会いがあっても、

私の状態やタイミングによって受け取るメッセージが全然違うんだなぁ

ということを、振り返って感じたのです。

もう今までのやり方に限界を感じた時だったからこそ、響いたんだろうなぁ。

とはいえ、自分解放は恐る恐る・・・

じゃ、私も「子どものような無邪気さ」を発揮できるかと言われても、なかなか怖くてできない、、、><

社会的には、大人の常識的な自分でいられたからこそ、上手くやってこれたし、それがなくなったら、どうなっちゃうの?

という感じです。

もちろん、家族とか身近なところでは、子どもみたいなワガママな私もかなり出ていたはずで、それも、無自覚ながらも外で自分を押さえつけていた反動で、より強く出ていたかもしれません(だんなさん、子ども達、ゴメン・・・)。

やりたいからやる!
楽しいからやっている!

子どもって、こういう思考回路ですよね。
先を読める大人から見たら、ハラハラもの・・・

でも、この大人の「先読み体質」がやっかいなんですよね、、、
大人はあれこれ起こってもいない不安を予測して、自分でストップをかけたりしてしまうもの(しかも必要以上に、、、)。

特に心配性だったり、より確実性を求めて頑張っちゃう人なんかは、シンプルに子どものような無邪気な本音を解放していくのが、軽やかになれる近道なのかな

と思ったりしています。

やっぱりこれが本質だな~

『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』

消耗ループ:私自身が体験した「無自覚に煽られ、駆り立てられ、走り続けるエンドレスな消耗感」
実は、これは、「私自身の思い込みが作り出していたループ」だとわかり、、、
このループから抜け出すために、私自身の実験・実践禄としてnoteで綴っています!

最後までお読みいただきありがとうございました。


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