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補聴器のデザインの発展から考える課題

昨日、こんなツイートをしてみた。

近年の補聴器は、本当にデザイン性に富んでいると感じる。今回発売された「スタイレット」をはじめ、もはや一見しただけではそれが補聴器とはわからなかったり、本体自体がとても小さくてコードが細かったり、オープン型と呼ばれるものがあったりと、「見えない」化が進んでいるようにも思う。

現在はイヤホンもbluetoothの導入などでワイヤレス化が進んだり、イヤモールドと同様にオーダーメイドで耳型をとる方もいらしたりと、かつてのイヤホンのイメージから飛躍的な進歩を遂げている。

両者の進歩、発展によって、全く別物であるにもかかわらず、「見かけ上」の違いが緩和されてきたように思うのである。

これは、良い側面が大きいのかもしれない。
何らかの原因によって聴力が落ち、きこえに困難を抱えるようになると、補聴器の助けを借りて生活することを提案される。
しかし、補聴器のイメージ、見た目上の問題などでどうしても抵抗感があり、装用に踏み切れないという方は少なくない。
そういった意味では、このような小型化、カラーバリエーションの豊富さ、デザイン性の向上などは補聴器への抵抗感をある程度軽減させる効果があり、必要な人がより早く装用開始する一助となることは期待できる。

しかし、その一方で、そのデザイン性の進歩ゆえに周囲から「誤解」されてしまうケースもあるだろうと考えてしまう。

例えば、補聴器装用者がコンサートを楽しみたいから補聴器をしていくと、周囲の人からずるいと言われたり(そういうつぶやきをかつて見た気がする)、試験の際に、カンニングを疑われたりなど、十分な説明がないと、イヤホンなどの「似て非なるもの」と勘違いされ、心無い言葉、あらぬ誤解に遭遇することになる可能性があるのではないか、と懸念するのである。

説明すればいいではないか、と言われてしまうかもしれないが、もちろん受験のときなどには必要だろうが、それに疲れ切ってしまって結局装用を中止するということに繋がっていくことも考えられる。

見かけ上の負のイメージを乗り越えようとした結果、新たな課題と向き合う必要が出てきたのかもしれない。

それは、見かけ上の補聴器装用への抵抗感を軽減できた一方で、では、補聴器と他の機器とは機能が全く異なるという認識を確実に定着させていくことにあるのではないかと私は思う。

装用者本人が自分のきこえと使用する機器について認識しある程度は説明できること、周囲が難聴へのある程度適切な理解を以てその説明を受け入れる素地があること。

この「相互作用」が大切だろう。

どんなものも一長一短だ。

完璧な存在というのは基本的にはないのかもしれない。
今回ふと感じた課題へ向き合うとき、私にできることは何だろうと考えたとき、やはり、本人と環境との架け橋になれるよう、双方へ働きかけていくことなのだろうと考えた。

難聴者自身には、自身のきこえと、その言語化を。
周囲には難聴や補聴機器への適切な理解を。

一つひとつ、一人ひとりと向き合って、今よりも少しだけよりよく。
機器の進歩ほど人は速くはなれないかもしれないが、一緒にアップデートしていきたい。

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