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村田沙耶香と社会①

私が、最近読んだ本の中に『丸の内魔法少女ミラクリーナ』という本がある。この本は、小説家でありエッセイストの村田沙耶香によって2020年2月29日に発行された。この本を読むことに至った経緯として、私の好きな作家であったことや他の作品も以前から少しずつ読んできたこと、また、本屋で見かけた時の表紙カバーの綺麗さが目立ち手に取ってしまったことにある。本書には、過去の『小説 野生時代』より抜粋された4篇の短篇小説で構成されている。当感想文では、その中の最後に収録されている『変容』から現代社会における考えを物語性や言葉の表現等を通して以下、自分なりに考察していきたい。

初めに大まかなあらすじとして、怒りという感情が無くなりつつある世界で、主人公の40歳の女性がその現状に疑問を抱きながらも、自分はまだ怒りのある社会を求めて、変容を拒否していくというものである。
この物語の大きなテーマは「怒り」であり、この感情から社会や人間の変容を表している。物語にある「怒り」は正確に述べると、無になっているわけではなく、少し前の過去の感情として扱われている。ついこの前まで使われていた怒りという感情が急速に消えようとする様子から現代社会の変化を象徴していると思う。また、このテーマ設定の理由として、情報社会の発達によるSNSでの誹謗中傷やアンチコメントとされるものが増加傾向にある現代への不満や、怒りの少ない平和な社会を望むという筆者の理想も含まれているのではないかと考える。

話の中に登場する主な人物として私の他に、私がパート先で働く同僚の大学生、友人の純子、昔のバイト先の先輩である五十川さんがいる。大学生である若者は、怒りや苛々することに対し古風や不思議と感じている現状にあると同時に、感情表現自体も変化している。例として、激しく想像力を掻き立てられ異常行動への欲求が高まることを「なもむ」、それ以上に気持ちが高まることを「まみまぬんでら」というあやふやな言葉で表現している。勿論、主人公の私はその言葉に対しても全く意味が理解できず、はじめはそのように感じたことすらない。これらからは、現代でみるところの「エモい」や「ぴえん」などの若者特有の言葉の急増化や流行語に含まれるほどの伝染力、また言葉遣いの変化等を象徴していると考え、風刺や皮肉じみた様子が文章から感じられる。

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