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きつい顔の私だから


私はその日、初めて訪れた近所の髪切り処の鏡の前に座っていた。



そこは髭眼鏡の若い男性がひとりでカットのみを行う。カットのみでシャンプーはせず、カラーリングもパーマもトリートメントもなし。まさにカット一本。ネットに露出することはなく、看板もない。お客ひとりにかける時間は約30分。


しかしそのたしかな腕前と安価ゆえ、地域のこどもはもちろん大人の女性も通う評判のところだった。
無論私も行ってみたい髪を切られたいと常々思っていたが、なかなか予約する勇気が出ず、気づけば約2年の片思いを経て友人の紹介という武器を手に、ついにその門を叩いたのだ。


結果的に仕上がりには大満足しリピートは決まったのだが、それ以上に、圧倒的に、私の心に刻まれた会話があった。


実は私はその髪切り師さんを一方的に知っていた。


***


忙しいときだけ頼まれて、バイトに入るイタリアン食堂がある。
ピンチヒッターのため料理や盛り付けには一切関わらず、ドリンク作りとオーダー取り、皿洗いや会計など、オーナーが料理に集中できるよう他を円滑に回すことが私の仕事だ。

その夜は年の瀬で、ありがたいことに満席をいただいていた。

その日の予約を確認していると、「Hさんおとな4名 こども1名」とあったので、ああ、あの髪切り処の方か。と気づいたのである。その方はこの狭い町では「Hさん」と愛称で皆から呼ばれており、店の名前も「Hさん」そのまんま。なのですぐにわかったのだ。


Hさんは奥様と幼稚園くらいの男の子、そしておそらくご両親と思われる年配の男女、計5名でいらっしゃった。

和やかに食事は進み、コース料理をサーブし飲み物をお出しし、特に会話をすることもなく滞りなく終えることができた、と、思う。


***


髪を切られながら、「年末、来ていただきましたよね?あのときホールにいたバイト、私なんです。」と話した。

そこまで広くもなく店で、バイトも私しかいなかったためHさんは「ああ!あのときの。」とすぐ思い出してくださったようだ。聞けば一緒にいたご年配の夫婦は奥様のご両親で、いつも年末には忘年会のような、感謝の会のようなものを開いて家族で食事をするのが恒例になっているとのこと。今回は近所にありながら行ったことがなかったので、私のバイト先のイタリアン食堂を選んでくださったそうだ。


「実はあの食事のあと、奥さんの両親がすごく褒めていたんですよ。あの給仕してくれた女の子、感じがよかったねって。


うれしくはあったが、まあよくあるリップサービスだと思った。特別なことはなにひとつしていないのだから。(そもそも女の子という年齢でもないのだが、そこはスルーしておく。)


「いやいや全然。何もしていないです。あの日は満席だったので、むしろテンパっていて行き届かない部分もあったと思います。」

と答えると、

「いや、にこにこしていてすごく感じがよかったって言っていました。私もそう思いました


と、言ってくださった。お世辞でも嘘でもないことはその口調からよくわかった。

「にこにこ・・・ですか?」


思い当たる節は、あった。


私は細いつり目をしており、どちらかというときつい顔立ちをしている。

なにも考えずにぼうっとしているのに、「怒ってる?」や「そんな怖い顔しないで」と言われることが多々あった。いつも笑っているような柔和なたれ目の人がうらやましく、きつい自分の顔立ちは損だと思っていた。

なので、接客をするときはできるだけいつも笑顔でいるように、意識して心がけていた。今はマスクが欠かせない情勢。必然的に相手には目元しか見えなくなる。もともと細いつり目がなくなっちゃうんじゃないかというくらい、私はきゅっと目尻を下げる。

そもそもバイト自体も楽しいので、お客様の前では自然に笑顔にはなっている。それ以外のお客様から見えないところ、ドリンクを作っているときも、カトラリーを洗っているときも、たとえ忙しいときでも。いつもエプロンを付けるのと同じように。いつでも自然に笑顔を貼り付けているように。時にはバイトを終え帰宅しても笑顔が抜けないこともあった。

「作り笑顔」は笑いたくもないのに無理して作られた笑顔として、あまりよくない印象を与えることもあるだろう。しかし私は笑顔をあえて作ることで、自分の心も楽しくいられるように、そしておいしい食事とともにお客様にも笑顔になっていただけるように、無償の笑顔を作り、ふりまいている。


***


Hさんにその心がけを暴露し、「無表情でいると、怖いってよく言われるので。意識して笑顔でいるようにしています。」と笑いながら話すと、「そんなことはないですけど。でもその気持ち、とても大切だと思います。」と、はさみを動かす手を止めずに、鏡越しに微笑んでくださった。


心の中に、じんわりと温かいしみが広がっていくような感覚だった。私の作り笑顔は、たしかにお客様に「伝わって」いた。

帰り道にはきれいに整えられた髪と、じわじわ胸に広がり続ける温かいしみ、そして作られていない本当の笑顔の私がそこにいた。


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