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数字がすべてなのか?企業が「生き残る」とはどういうことか

人間が生きるうえで、企業という存在は切っても切り離せないものではないでしょうか。企業で働く、企業の商品やサービスを消費、享受する。生産者、消費者などあらゆる立場で、私たちの生活に企業が避けて通ることはできないものだと主張します。

この時代を生きる人々が求めるようになったから、企業はなくてはならない、あって当たり前のものになったのかもしれません。そうなると、企業側に立つ人々はいかにして、所属する企業が、自分たちが生き残るかなど、競争社会のなかで生存し続けることが価値あることとして、「存続」「生存」に重きを置くのが当然になったことにも納得できます。

「生存戦略」という概念が誕生したこと、100年企業に成長すること、東証一部に上場すること、○○期連続黒字を達成することなどをポジティブなものとして捉えることから、やはり大多数の企業は、生き残り続けることに価値を感じていることを表しているのではないでしょうか。

いつ競合に負けるかわからない、時代に求められなくなるかわからない、そんな時代のなかで存続し続けることは、確かに膨大なエネルギーや莫大な資金の流れや想像を絶する人間の営みの結果であることであり、並大抵のもので果たせるものではありません。多大なる労力と知恵の結集を感じ、称賛に値するのも当然です。

でも、私はふと思います。「なぜ、企業は生存し続けるのか?」「何をもって企業が真に生き残っているといえるのか?」「存続に果たしてどのような価値があるのか」。星の数ほどある企業、それぞれに伺いたいのです。なぜなら、企業は私が生きる時代に存在し、生活に関わり、私自身がマーケターとして企業に関わることがあるから…企業の生存にこだわる私の理由は果てしないのです。

「成功したいから」
「従業員の生活のために」
「消費者の豊かな生活のために」

といった言葉が返ってくるかと思います。そして、我々の存続理由は企業理念そのものである、というご回答もあるでしょう。

もちろんそれらは、企業が生き残ることにこだわる理由になります。しかし、欲深い私は、そのもっと奥深いところを知りたいのです。企業が存続することが、私たち人間が生きることにどうかかわるのか。利益を生み出し続けること=企業が生き続けるということなのか。なぜ、生存にこだわり、幕引きを自主的に描くことが考えられないのか。

なんとなく、数字を上げ続けること、企業の規模を拡大させていくことといった「増加」だけが生き残る目的や証明ではないように思います。

人間がなぜ存在するのか神秘性を孕んでいるのと同じように、企業においても未知数で未開拓な領域が存在している気がしてならないのです。

不可解なものを抱えながらも存続し続けてきたのが不思議で、いうならば、そこまで追求しなくても世界は回っていく。そこまでというなら、それまでです。でも私は知りたい。なぜ、この世界、時代に企業が存在し、存続に価値を置かれる風潮になり、それが本当に絶対的なものなのか。ひとつひとつ丁寧に、思考、吟味をして、包むものを剥ぎ取っていきたいです。

またしてもなんとなくですが、そうすることで、どうして私たちは企業に身を置くのか、身近なものであるのか、再認し、より自分事になるのではないかなと。私たちは、企業という存在に働き方や生活、人生が大きく左右されるのだから、それだけ影響力の強いものなのだから、追究、探究してみることはおかしいことではないと思います。

その先に、もしかすると、人間の、私自身の「生きる」ことの根源に接触するのかもしれないと思って、ワクワクしています。ただ、答えが見当もつかないから、たどり着く先はもしかしたら、個人的な知的欲求の充足に過ぎないかもしれませんが…でも、それでも私は知りたいです。

そんな漠然とした疑問に、知を愛し、探究することを喜びとする哲学者の方々がお付き合いをしてくださる運びになりました。私の個人的な欲求のために、「真理を探究する」に人生を捧げる人々が時間とお力と知恵を貸してくださるのです。

探究の継続は、きっと私の自己満足でとどまらず、生きとし生ける人、特に「ビジネス」や「仕事」、「働く」ことに人生の重きを置いている方々を揺さぶるものを生みだすような気がしてなりません。

「企業の生存」について、これまで生きてきた人がたどり着くことができなかった答えが生まれる日がくること、そこに私がいるようなことがあれば、これほどまで光栄で幸せなことはそうそうないかもしれません。

そんな願いを抱き、優れた智者の方々との「ビジネス哲学」の踏み込み、心して臨みたいと思います。

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