ドラマ「アンメット」「季節がない街」の人間味
こんにちは、映像ディレクターの別府です。
福岡でおもにテレビショッピングの企画撮影編集などに関わる動画制作を行っています。
2024年6月17日(月)、ドラマ「アンメット」第10話放送。
このドラマは超ざっくり言うと記憶障害を持つ女性医師ミヤビ(杉咲花さん)と、病院仲間の過去と現在、障がいと尊厳の物語です。
そして同じく6月に第9話を迎えた「季節がない街」。
大災害から13年の復興住宅を舞台に人間の弱さや醜さ、その裏返しの幸せや価値観など人生のリアルを描いています。
2つを通して感じた記憶と尊厳について書きます。
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「アンメット」第10話、記憶と心
毎回、救急病院に運ばれてくる患者の物語が描かれる。今回は画家の話。
画家は徐々に記憶が薄れ、寝る時間が長くなり、流動食を食べるようになり反応が弱まっていく。
看護師さんが食事を与えても食べてくれない、起こしても起きてくれない、でも奥さんが来たら起きてご飯を食べてくれる。
「私のことは全部忘れてしまうのかな」という奥さんに「記憶はなくなっていくけど心は覚えている」というミヤビのセリフが響きました。
そして画家はいよいよ終末期。
在宅看護に切り替えて退院の頃にはほぼ夢うつつの様子。
話すことはおぼつかない、絵筆も満足に握れない。
そんな状態で奥さんに「絵のモデルになってもらえませんか?」と出会った頃のように声をかけて、おぼろげながら描いた奥さんの絵。
もうボヤボヤなんだけど確かに画家の目を通して座る奥さんとの時間がそこに証明されています。
外からは誰にも犯せない奥さんへの愛。温もりを感じました。
ドラマでは以前も「記憶を失っても強い感情は残っている」というセリフがあり、人が人として生きる意味のようなものが語られています。
人は記憶を失うとその人ではいられなくなるのでしょうか?
人は障がいがあるから諦めないといけないのでしょうか?
優しい社会をつくるのは、弱者を思いやり行動する勇気だと思いました。
祖母との体験談
私の祖母も、やはり徐々に寝る時間が長くなり反応がゆっくりになりやがて静かに眠るように92歳でなくなりました。終わりに近づいても子供たちと話しかけたり一緒に歌ったりして耳は聞こえて目は見えていたと思います。
記憶は離れていっても、そこに心があって感じてしっかり生きていました。
祖母は亡くなっても、その声やしてくれたこと、優しさや温もりは私の心が覚えています。
不思議ですよね、脳の中ではただの電気信号として残された音声や姿が何度も再現できる記憶。それが機械が壊れていくように少しづつ思い出せなくなってしまう。ゆっくりと。でも確かにそこに宝物のように存在している、それを再認識させられる体験でした。
記憶に関連したドラマがもうひとつあります。
「季節がない街」第9話、死者との思い出
このドラマはナニと呼ばれる大災害から13年後、復興住宅に暮らす人々の人生模様をクドカンが肉肉しく描く隠れた傑作ドラマだと私は思っています。
そのなかで、今の朝ドラ「虎と翼」でも好演だった中野大賀が、復興住宅での暮らしが辛くて自殺しようとするシーンがあります。
結局死にそびれるんですがその時に「死ぬとしたら頭の中にある父ちゃん。ナニ(大災害)で死んだ父ちゃんの記憶も無くなってしまう。だったら俺は生きなきゃ」っていうようなセリフがあります。
クドカンのセリフ選びにやられたな〜と思うわけです。
震災や事故や事件で大切な誰かを失うって本当に悲しいことですがその記憶は頭の中でずっと生きていてその記憶を持つ自分は今も生きなきゃいけない。人間は愛おしくて逞しい、本当にすごい脚本だなと思います。
まとめ、記憶と尊厳について
もし病気や怪我、障がい、認知症になって記憶を失くしても心が覚えている。強い感情は忘れない。
動物とは違う人間の強さがここにあるんだろうなと思いました。
最近思うのが、人の影響力って生前か死後でどっちがあるんだろう?ということ。だいたいの人は生きている時間より死後の時間が長く、生きていた時に関わった人や後世、子孫に与えた影響力は死後のほうが大きい。
歴史上の有名人、その影に何億人の無名の人々のひとつひとつ生きた歴史が今につながっている。全ての人が人生の主人公。人生は尊いんだなと改めて心が洗われる思いがしました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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