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40歳にして2回家を買った私が次に家を持つとしたら

「家は3回建てないと理想の家にならない」

実は私、40歳にして2回家を買いました。
そんな私が3回目に家を持つとしたら、というお話をしようと思います。

最初に家を買ったのは33歳の頃。
賃貸マンションに住んでいたのを長女が1歳になって築浅中古マンションを買いました。
賃貸マンションから2倍近くの広さになり、今までの家具を置いてみたら全部がこじんまりして見えます。
カーテンも高さも幅も段違いのオーダーメイド。
ダイニングテーブルもすかすかに見える。
何より相対的にテレビがうんと小さく見える。
「ああ、こうやってお金持ちのテレビは大きいものを買うのか」と妙に納得。

家の広さに、ぎゅうぎゅうのものをゆとりがあるように広げていく感覚。
その中で学んだことは

家に合わせて人が変わる。

これ逆説的なんですが、人が選ぶ家に、人がなっていくんです。
周囲にも同じ環境の人が住んでいればそのコミュニティに人がすんなり順応していく。共働きで子育てしている家族が周りにいて心地よい。
生活が豊かになり、人はおおらかになっていく。


そして2回目の家は2022年。

訳あって子供が3人に増え家族5人、築15年以上の中古マンションを購入。
駅から10分以内というだけで広くもない新しくもない、安くもない。

収納や機能性は落ちる、だから工夫して住むことを求められる。
かなり多くのものを断捨離。
子供3人でもかなりミニマム生活を始めました。

ここで感じたこと。
住む人に合わせた家の広さも実はあまり関係ない。
必要なのは人に合わせた最小限の暮らしやすさ。


昔、フランスに半年住んだことがあります。
その間にヨーロッパ色々な場所に一人旅をしていつもしていたのは空を見上げること。

環境音を聞いて、漂う香りを嗅いで、肌で空気を感じる。

地面に座って見上げた先には空がある。
それは地球上どこも同じなんだという強い実感がありました。

田舎のばあちゃんの犬の散歩も、ニューヨークのタイムズスクエアも、パリのシャンゼリゼ大通りも、ロンドンブリッジの下も、ハワイのダイヤモンドヘッドの頂上も行きました。

目を閉じて呼吸をすれば、この足が感じる地面が私のいる場所。

どこで誰と住むかが重要で、そこに家を建てて人生が根付くだけ。


本題
「もしどこでも住めるとしたら」

私は「誰と住むか」。

家族が暮らしやすさを考えたら
結局、そこそこの都会そこそこの田舎で
そこそこの家にわいわい暮らす
のが良いな、そう思っています。
(長文を書いておいてその結論www)

どこでも家族がバラバラだと不幸な家になる。
狭かろうが古かろうが住む人が結束して明るければ幸せな家になる。
不満が出るのは結局は対人。

ちなみに補足、これは物を売ったり買ったりするのも同じこと。

私がテレビショッピングの中で出したりするのは「孫と元気に遊ぶための健康」や「年下に驚かれるような美肌」というように誰にどう関わる理想を叶えるか。

いくら豪華なブランド品でも古着でも、その人が誰とどんな生活の中で使う物か?を具体的に描けるかどうかによって、欲しいかどうかが決まるのではないかと思います。

結論。
人は、人ありき。

#どこでも住めるとしたら
noteハッシュタグ企画に参加してみました。

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