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私の人生を変えた出来事〜九死に一生の交通事故〜

こんにちわ!
今回は、私の臨死体験をお話しさせていただきたいと思い、noteを開きました。

いきなりですが私は、一度死にかけたことがあります。その時に乗っていた車がTop画像です。悲惨ですね〜。その経験から感じたことや変化したことを書き留めてみたいと思います。

現在私は、一日24時間という時間を納得して生き切るということをモットーに日々過ごしています。仕事だけではなく遊びに関しても自分の欲望や直感に従いながら動いています。時には強引なときもあり、そして無茶して後悔をすることも多々あります。バタバタと落ち着きがないので、そろそろ大怪我をするのでは無いかとも思っています。笑

最近の出来事だと
・スノーボードで、ちょっとだけ無茶して憧れの技をやってみたら転んでお尻の骨を折る。
・楽しくて美味しくてうっかり飲みすぎてしまい、二日酔で次の日使い物にならない廃人となる。
・激辛すぎるレトルトカレーを食べて気絶する。

まさかアラフォーの大人女性だとは思えないお茶目っぷりに自分でもクスッとなります。

なぜ私が、明日でもなく来週でもなく「今とか、今日」を大切に生きているかというと、「明日」が来ないかもしれないというイメージがいつも頭の片隅にあるからなのです。
なぜそう思うようになったか・・・
それは2014年の交通事故がきっかけでした。

車の窓を突き破り道路へダイブ!

2014年10月、まだまだ暑い沖縄。私たちは58号線を那覇から恩納村方面に向けて走っていました。弊社ネイルサロン那覇店をオープンして2日目、まだお客様の予約もなかったので、開店準備で来てくれてた友人とシュノーケリングに行くことになり、向かっていたのです。58号線のローソンで飲み物を買い、左後ろに座っていた私はシートベルトをつける前に飲み物を飲んだりしていました。そして事故現場となった砂辺の交差点。

青信号で直進する私たちの車。運転手の友人が「あぶない!!」と叫んだ時に右を向くと、すでに車体には車がぶつかり、自分の車が思いっきり左に飛んでいったのが最後の記憶。

死後の世界ってSAIKOU!なんて心穏やかなんだ!

車がぶつかったときに、その反動で私はサイドウィンドウを突き破り、噴水のアーチのように空高く飛んだらしい。そこから地面に叩きつけられるまでの数秒は、私の頭の中ではゆっくりと長い夢をみているようでした。

キラキラと穏やかな世界の中で、過去の記憶が蘇ったのか幻覚なのかはわからないけれど、赤ちゃんの私が母にあやされてお昼寝をしていたり。記憶に無い、日常の断片的な出来事が少しずつフラッシュバックして過去に戻っているようでした。とにかく感じたことのない幸福感で満たされていたのは覚えています。そんな心地いい感覚の中、「バンっ!!」とどこかに叩きつけられ現実に戻ったのかキラキラした世界が真っ暗にになりました。

それから目を閉じたままの私の脳裏では二人の自分がいました。
「こんな心地いいんだからこのまま目を閉じて幸せな世界に行こう」
もう一人の私は「いやいや、まだ結婚も子供も産んでいない。起き上がらないと!」そんな葛藤のなか私は「そうだ、まだ死ねない!」と起き上がったのを覚えています。それまで結婚や子供なんて考えたことなかったけれど、自分の心の奥底で望んでいた願いがあったのかもしれません。死ぬ直前に自分でも気がついていない願いに気が付くことってあるんだなとこの時に思いました。

事故からの心の変化

その後私は、思い通りに動かない体のリハビリ、顔面麻痺、経営の不安、なかなか終わらない裁判などから、不眠症とPTSDとうつ病を患い精神科に通っていました。体も精神も病み病みの中、家にこもりがちになりました。会社があるので行かなければなりません。メンバー達の前ではいつものように元気に振る舞って、家に帰って来たら廃人と化して何もせずベッドに横になる。そんな生活が半年ほど経ったころに、「このままじゃダメだ!何か変化しないと」と、死にそうになった時の願いを思い出しマッチングアプリを始めました。

相談する相手もあまりいない中で、きっと私は自分の辛さを「心で感じて聞いてくれる、寄り添ってくれる人」が欲しかったのかなと。
そんな時に今の旦那と出会い、出会ったその日から睡眠薬を飲まなくても寝られる位に精神状態が安定したことを覚えています。

結果、いい事ばかりだった

現在、事故から9年経ちましたが、この経験は経営面でも大きな影響を与えてくれました。

会社経営ってどうしても数字を上げることも大切な事なので、メンバーのWant toを知っていながらも会社のhave toの方向でしてもらわないといけない事もあったりする。事故前の私だったらHave to doの理由を十分に説明せず、お互いに不安を残したままで動いてもらっていたかもしれない。でも今はメンバー達へ「人生の20.30代という貴重な時間にao.を選択してくれた気持ち」に感謝し、メンバーのWant toを尊重しながらも、Have toの理由を丁寧に伝える。そしてお互いが幸せになれるためのプロセスを考えるようになった。

事故当時に比べ会社のメンバー数も売上も上げることができた理由の一つとして、自身の相手に対する向き合い方の変化が繋がったのだと思います。

そして今。

死んでいるはずだった自分が生きていて、家族ができて、会社のメンバーや友達がいる事が仮想現実な気がして毎日不思議な気持ちです。

事故の前は、好きなモノを買って好きな場所に旅行に行って、身だしなみをきれいにして、仕事が充実してそれとなく毎日が楽しければ幸せだと思って生きていました。そして今、歳を重ねて、旅行も買い物も減り、傷や後遺症も残ってしまったけれど、事故の前よりも心は豊かに生きています。生かされた奇跡の毎日がボーナスタイムだと思っています。

そんな私は、どこかで誰かに「出会えて良かった。」とふと思い出してもらえるような、誰かの人生が豊かになるきっかけや気づきの存在になれたらと思って生きています。

私が一番幸せを感じる瞬間は「家族やメンバーや誰かが、安心安全で豊かな気持ちで生きていく事」その気持ちが自然と私自分をも豊かにしてくれているのだと思います。とはいえ生きていく事はいい事ばかりではなく日々苦行だとも感じています。

終わりある人生「1日を大切に」「今目の前にいるこの人と会うのは最後かもしれない」。
そんな気持ちで生きていると、「当たり前」が、「特別なこと」に。
「不満や嫉妬」「感謝の心と優しい気持ち」に変わる。

最初は、10割相手の過失として終結した交通事故に対して、痛みと傷だらけの顔や体を見ては「なんで私が・・」と悲観していたけど、時間と共に「沢山の気づきを与えてくれて感謝!」というマインドにさせてくれるまでになりました。身体中に残った後遺症でさえも、レベルアップした勲章的な意味があるのかも、、?と思っています。

「生きてるだけで丸儲け」ほんと、それですね。
あと、シートベルトは必ずしてくださいね!!

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