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【書籍化の夢】【経歴】【生い立ち】【ビジョン】 矢内綾乃の「夢を叶えるまでの本当の話」 No.003

矢内綾乃@リケ女社長です。

この取り組みは、「先生!ぜひ、先生のやって来たことを書籍化しましょうよ!」と声がかかった時に、「あ、もうできてますよ!」というための取り組みです。
けして、note の書く内容につまったからではありません(笑)

ということで、書籍化の依頼が今日来たという想定で、
【経歴】【過去の振り返り】【山あり谷ありの起承転結】【これからのビジョン】を書き連ねて行きます。

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私が物心ついた幼少期〜小学生時代は、1980年代のバブル経済絶頂期に当たり、子供心にもお金がある国という印象が強いです。

新聞やTV番組でも、『経済大国日本』という字をよく目にしました。
「日本の自動車は壊れない」
「日本の電化製品は品質がいい」
「日本は平和だ」
「日本製品はクオリティが高い」
「日本人が海外旅行にいくとたくさん買い物をする」
どこで聞いたか定かではありませんが、そんな話をたくさん聞いたと思います。

JRすら通っていない田舎の富岡市にもデパートが作られ、商店街はブティック、呉服屋、高級食器てん、、、物で溢れていました。
父親は高崎市に設計事務所を構え、体育館や介護ホームなど、大きな建物も設計していて、高崎市を車で通ると「あれはおとうが設計した体育館だ!」などと教えてくれました。
母親は、英語の塾と茶道と華道の師範代で、自宅の庭には離れが建っていて、お茶室と、英語塾、及び、華道の教室と、兄の部屋が立っていました。
着物や茶道の茶器が家にたくさんありましたね。
特に印象的なのは、年に何度か家に宝石商が訪問しにきて、宝箱のような宝石箱をパカっと開けると、ルビー、サファイヤ、ダイアモンドなどなどの指輪が黒のベルベットのジュエリーホルダーに並び、子供心にドキドキワクワクしました。
年に一度は草津温泉に家族旅行に行き、仲居さんには必ずお包みを渡していました。金額は5000円〜10000円くらいだったと思います。
父親と母親の自家用車は2年に一度は買い替え、テレビとこたつは、お婆ちゃん、母親、兄、姉、私に一人一台づつあり、それぞれの部屋で使っていました。
小学生のお年玉の平均額は1万円で、すぐに数万円が溜まったし、
自転車でも、ファミコンでも、ちょっと強めにおねだりすればなんでもすぐに手に入ったな、という思い出です。
父親は軽井沢に土地を買ったのだといい、別荘を建てるのを楽しみにしていました。

ところが、私が中学生ですから、年号が平成に変わったあたりから、景気のニュースがおかしくなりました。

『不景気』『暴落』『恐慌』という単語が飛び交い、徐々に徐々に深刻な空気が日本中に蔓延してきました。

仕事が急減してしまったのかは、私は把握していません。
ですが、ちょうど同じタイミングで、兄が東大の大学院生で毎月仕送りがかかり、姉が中学2年生で大学受験のための高い塾に通い、私が中学2年生でややり高崎まで塾に通い、子供の教育費だけで50万/月以上は確実にかかっていたと思います。
「うちに金のなる木はないんだよ」というのが両親の口癖になりました。

ただ、子供達は経済状況の悪化など自分ごとではありません。
相変わらず、欲しいものを要求していました。

兄は、100万円するマッキントッシュの最新型のコンピューターが研究で絶対必要だから、と購入しており、LD(レーザーディクス)数十枚とオーディオセット、MD(ミニディスク)、最新の機器はどんどん購入していました。毎月オメガの新しい時計が欲しいと怒り出し、両親と言い争いをしていました。
子供の頃から、なんでも要求を聞き、欲しいものを買い与え、お金を渡し、過保護に育てられた子供たちは急に大人になることができなかったと思います。

そして、兄は、さらに進学するか、就職活動をするか、苦悩の末、27歳でこの世を去ってしまいました。
欲しいものはすぐに買い与えられ、小学校、中学校、高校とずっと成績トップが当たり前だとすりこまれて大学生になった兄。東大で上には上がいることを知り、研究などというお金にならない道楽を終了して、社会に出て自立して自分の力で生きていくという現実に向き合ったときに、何を思ったのか今でも想像することがありますが、事実を理解することはもう二度とできません。
12歳年が離れていましたが、それから遅れること7年後、私も社会人になるときに、同じような思いを経験したのでは?と感じています。
親の期待と保護下にあり、「勉強するだけで褒められる」という特権を失い、頭を下げて会社に入り、成果物に責任をおう現実。
親から着せてもらった偽物の鎧を、全て身ぐるみ剥がされてほうりだされるような、不安と恐怖を感じた覚えがあります。

のちに出会うことになる、認定NPO法人 アジアチャイルドサポート 池間哲郎氏の講演で、下記のお話をしていました。

過保護は暴力よりも子供を苦しめる
過保護に育てられると、感謝を感じられない。
感謝を感じられることが幸せなこと。
感謝を感じられないのは地獄です。

https://www.realinsight.co.jp/koden/2019/

認定NPO法人 アジアチャイルドサポート 池間哲郎氏特別講演会

骨折をすると、さらに外的なダメージを防ぐために石灰で固めますよね。1ヶ月ほどして、このプロテクターを外すと、皮も筋肉もヒョロヒョロになっています。
骨折をしてもいないのに、傷つく前から親がプロテクトをし、なんでも与えられ続けると、感謝を感じられない足りない地獄になる状態になることをこの目でみて、まさにこのことだと思いました。

うちほどの症状になったかはわかりませんが、バブル時代に生まれた世代は、このような影響があった方もいたかもしれません。

お金が無くなることもある、という経済的な不安と、
ただ生きているだけで精神的に成長できるわけではない、というメンタル的不安は、高校時代の私の人生観に大きく影を落としました。

No.004 につづく

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