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創作小噺『マスクの下の真実はわからないけど』

「いきなり、タロちゃんですか?はびっくりしちゃうかもしれないから、川原さんですか?って話しかけてみよう。よし。」

頭の中で話しかける瞬間をシュミレーションする。電車を降りて、ホームで人にぶつからなそうな場所で、あの!って声をかける自分をイメージする。

少し怪訝な顔をしながら、びっくりした顔でわたしに気づく彼。

完璧だ。

なぜわたしがこんな脳内妄想を繰り広げているかというと、遡ること10分前。わたしは品川駅から渋谷方面に向かって朝の山手線に乗り込んだ。

朝9時代の山手線はそこまで混雑しておらず、わたしは座って目的地まで運ばれていった。

2,3駅過ぎた頃、ふとドアの近くに立っているスーツの男に気づいた。180を超える長身にグレーのスーツをパリッと着た男性。視界に入った瞬間に心が跳ねた。

タロちゃん!?

タロちゃんは、大学時代の元カレだった。確か大学卒業後は中堅の通信キャリアの会社に行ったらしいというところまでは聞いていた。実家も確か都内だったし、朝の山手線で遭遇してもおかしくは無い。

ただマスクが邪魔をする。顔の下半分が見えない分、他人の可能性もある。濃いグレーのウレタンマスクに隠された真実。でも、やや猫背な感じ、濃いめの眉毛、8割型タロちゃんに間違いない。

スマホを持つ右手は見えるけれど、左手はカバンを持っているのか下ろしていて見えない。結婚指輪、ハマっているのだろうか。

車両中程に座っているわたしからすると、ドアまで歩いていって話しかけるのは流石に厳しい。通勤中の静かな車内で話しかけるのは飛沫的にもあまり歓迎されるものではないだろう。

わたしが降りるのは新宿。もし、もしも、同じ駅で降りたら話しかけよう。ひっそりと誰も得するのことのないゲームにベットした。

目黒駅到着。・・・降りない。 

恵比寿駅到着。・・・降りない。

なんだか心臓がばくばくしてきた。

学生の頃と同じ、黒の短髪がビシッと決まっているタロちゃん(仮)。
それにひきかえ、二度のブリーチを経て銀髪風になっているわたし。

グレーのスーツをパリッときて出勤前のタロちゃん(仮)。
それにひきかえ、朝帰りで昨日のままの格好でメイクもほぼ落ちてるわたし。

この状態で話しかけてもいいものだろうか。タロちゃん(仮)に降りて欲しいのか、乗っていて欲しいのかよくわからないなってきた。

渋谷駅到着。・・・降りない。

もうずっと目が離せない。タロちゃん(仮)がドアの方に視線が向ける度、降りる!?って緊張がさらに走る。

新宿駅まではあと3つ。あぁ、どうしよう!

原宿駅到着。・・・降りない。

あと二つ。

代々木駅到着・・・。

そのとき、タロちゃん(仮)が動いた。
そしてすんなりとドアに吸い込まれてった。

降りちゃったか。ホッとするような残念なような気持ち。

本当のところ、あれがタロちゃんなのかはわからない。
けど、この晴れた冬の朝。余裕のある山手線に揺られていたら、なんだかタロちゃんだったと信じてみたい気持ちになった。そんな奇跡が起こってもいい空気がそこにあった。


せっかく考えたセリフ、言いたかったなぁ。

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