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「想像力が豊かすぎて抱える生きづらさについて例え話を用いて話してみようか」と、4/19の日記

例えば、Aさんが自分の主催するパーティーで
ゲストに美味しいステーキを振る舞うため、
馴染みの肉屋からA5ランクの牛肉を
この日のために取り寄せて、
使い込んだ鉄のフライパンにて
じゅうじゅうと焼く。
その後、少し肉を休ませて、
さぁ最高の瞬間で今が食べどき!と
テーブルに運ぶタイミング。

そこにゲストの一人であるBさんが現れる。
「付け合わせにぴったりの
マッシュポテトを作ってきたよ、
でもちょっと冷えてるから
温め直して出して欲しい」

今が最高に美味しいお肉の味が、
刻一刻と落ちていってしまう中、
Bさんのマッシュポテトが
ゲストの皿に盛られる。
なんとも切ない場面。

Bさんだって悪い人じゃない。
みんなが美味しい食事ができるよう
心を配って準備してきてくれたのだろう。

ただ、想像力がちょっとばかり足りなかったのだ。

Aさんがベストタイミングで
お肉を出したかったこと、
今回のパーティーのメインは
そこだったこと、
Bさんのマッシュポテトの出現により
Aさんのベストタイミングで
ステーキを提供できなくなること。

この想像ができなかった。

善意で成り立っているようでも、
この想像力の有無による認識のズレがあると
途端に居心地悪く感じてしまう。
わたしはこういう場に遭遇するとしんどくなってしまう。

想像力の足りない人を見ると
腹が立ったり、悲しい気持ちになる
のだけれど、
周りの様子から察するに、
そこまで想像力を働かせている
わたしの方がマイノリティらしい。

目に見えない生きづらさってやつだ。

「どうしてそれを今言っちゃうのかな?」
「どうしてそれを今やっちゃうのかな?」
「どうしてその想像が出来ないんだろう?」

自分の感受性をむき出しにしていちいち反応する
本当に心がボロボロに傷ついて疲れてしまうので、
ドライになったり、宇宙人と遭遇したのだなと考えたり、
そもそも危険人物には近づかないようにしたり、
心が削がれないよう防御の方法も増やしてきた

それでも、不意に”マッシュポテト”に遭遇する。
鈍感力について憧れたりもするけれど
この豊かな想像力が誰かを救うこともあると信じて
自分のやれることの幅をじわじわ広げているところです。


***

以下は日記パート。
新しい習慣、好転反応が抜けた、フォトセッションの仕上げ、猫の事件、家飲みで赤星の宴などについて書いています。

※この文章はワンテーマエッセイと日記です。単品で100円で買えます。1ヶ月30本くらい書いてるので1本約10円です。いくつか気になった方は月300円の定期購読をオススメします。 38才・独身・猫二人と都内に暮らすフリーランスの生きる記録。思考、思想、想像力の根っこの部分。今日作って食べたもの、観た映画やドラマの感想、猫写真など、ザクっとnote版のストーリーとしてお楽しみください。それでは、いってみよ〜!

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