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自分の中での哲学を作る方法「エッセイストのように生きる」

目次を見た瞬間から、今自分が求めているものはこれだ!と心惹かれた本。
全て読み終えて、あの時のトキメキは間違いではなかったと確信しました。
全てを語るとまとまらない気がするので、始めの方についてだけ書かせていただきます。


エッセイストのように生きる 松浦弥太郎


※内容に触れますのでご容赦ください

エッセイとは何か?から教えてくれる本。
私は正直、エッセイとはどういうものを指すのか、よくわかっていませんでした。
ですがこの本から、
その日あった出来事と、そのとき自分の中に芽生えた感情の描写や思考の巡り全てを表現したもの
ということを知りました。

私は毎日、ノートにその日の気分や思ったことを書くという習慣があります。

あれ、私がいつも書いてるのってエッセイなの?

目次から惹かれたのはそういうことか、と腑に落ちました。


松浦さんは、エッセイとは何かを様々な表現の仕方で書いてくれていますが、私が特に惹かれたものは次の2つです。

①エッセイとは、忘れたくないことを書いたもの

私が毎日ノートに感情を書いているのは、その時の感情をそのままの熱量で、大切に保存しておきたいからです。
感情は、時間が経つとどうしても薄れてしまい、そっくりそのまま思い出すということは難しいと思います。
ですが、書くという作業を通すと、字の乱れや筆圧から、どれくらい感情が揺さぶられたかを表すことができると思っています。

まさに、このような思いを松浦さんも持っているということが書かれていて、驚きました。

②エッセイとは、自分の哲学

哲学とは、人生とはこういうものだ、とか、一生を通して全人類に当てはまる何か壮大なものという、漠然と、とにかく大きいものという気がしていました。
また、到底自分が作り出すようなものではないと思っていました。
ですが、松浦さんは、エッセイを書くことで自分を深く理解し、小さな自分の中だけの哲学を作っていくことができると書かれていました。

自分の生き方を決めるのは自分自身で、人それぞれ違う。
それもまた哲学なんだと知り、ワクワクした気持ちになりました。

人は誰でも、エッセイストにも哲学者にもなれる。
私が興味のあるエッセイや哲学を作り出す側の人間に、こんなにも簡単になれるものなんだと、生き方の道筋が増えた気がして、大袈裟かもしれませんが未来が明るく感じました。



松浦さんのエッセイは初めて読んだのですが、読んでいてすごく落ち着きました。
優しく、丁寧に選ばれた言葉たちが並んでいて、心にスッと馴染む心地良さがあります。

文章を書くことだけでなく、誰かに心地良さを与えられる人に、私もなれたらなぁ。

ここ最近は自分の生き方が広がるようなものに出会うことが多く、人生立ち止まる期間も無駄ではないんだと実感できています。

心が温かくなるものに出会える瞬間がとても幸せです。

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