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ツユねき✧♡

 卑太郎さんの小説を読んだ時に、ドブにきとれもニキが出てきた。

 この小説が一番初めに読んだ卑太郎さんの小説だ。
 短編小説とあったけど、全然、短編じゃないヴォリューム感。
 なんだか渦に巻き込まれるかのような小説。こういう感じ嫌いじゃない。なんだか言葉の海に巻き込まれていくかのような爽快感。
 ずぶずぶと、ドブにきにハマる。
 しばらくして別な小説も読む。

 次は、れもニキだ。
 レモンをたくさん買い込んで、それをラップでぐるぐる巻きにして持つ男。そのレモンを誰かにぶつけるというテロをやってのける。
 コメント欄で卑太郎さんと会話する。

あやのん

2024年5月27日 06:43

檸檬で記事が書けそうだと思っていたので、
レモンが気になりました(⋈◍>◡<◍)。✧♡
檸檬の色、青空を切り裂くような眩しい黄色、いいですね!
れもニキの謎が解けましたが、ニキってなんの略なんですか?

卑太郎(ひたろう)

2024年5月27日 07:40

あやのんさん
檸檬てそれだけで絵になりますよね🍋因みに檸檬を爆弾に見立てるのは梶井基次郎先輩へのオマージュです😊
ニキは、兄貴のニキです!
レモンの兄貴→れもニキ
ドブの兄貴→ドブにき

もし女性であれば姉貴なので、レモねきとかドブねきとかになると思います。多分正式な日本語ではなく、親愛と侮蔑の意味が入り混じった表現だと私は感じており、あまり丁寧な言葉ではなさそうなので、覚えなくていいかも知れません(笑)😅
コメント、それにまたマガジンにも追加して頂きとても嬉しいです🤣



あやのん

2024年5月27日 17:49

卑太郎さん、お返事有難う御座います(⋈◍>◡<◍)。✧♡
梶井基次郎先輩、いいっすね、その呼び名!
私もこれから北斎先輩って呼ぼうと決めました( ´艸`)
兄貴のニキ、なんかそれもいいなあ。
どぶニキ、れもニキ、いいなあ。
その言葉、なんだか、カワ(・∀・)イイ!! 覚えます(⋈◍>◡<◍)。✧♡
温泉で十分に休養したらまた復活してください(⋈◍>◡<◍)。✧♡
過去作を楽しみに読みます💖
檸檬で記事を書きたいと思っていたのでそのうち引用させてください(⋈◍>◡<◍)。✧♡

コメント欄より

 なるほどなあ!
 先日、まっ子さんの記事で「ぬいぐるみペニスショック」という言葉を初めて知った。いや、どっかで聴いたことあったか?

「女性が、それまで恋愛対象として見ていなかった男性の友達に告白された時に抱く強い嫌悪感」を端的に表した言葉。

女性からすると、まるで「それまで可愛がっていた人畜無害なぬいぐるみからペニスが生えてきた」かのような現象であるため、このように名付けられた。

ピクシブ辞典

 凄い言葉だなあ、コレ。と思っていた。今、ピクシブ辞典を読んでいたらこれだけで記事が一個かけそうなぐらい凄かったが、ちょっと話を先に進める。若者は、なんでも言葉を短めにするらしいが、この現象も「ぬいペニ」と呼ばれているらしい。

 だからの、どぶニキとれもニキである。
 どぶニキは自分でスマホをどぶに投げつけ、どぶをさらうことになってしまっている変な人として、れもニキも、レモンをぶつけるテロをする変な人として、たぶん若者に動画でとられ、四文字で、あだ名をつけられ、それぞれ拡散されていく。

 それが小説の主人公のあだ名になったり、タイトルになっている卑太郎さんの小説が面白いなと思った。
 いちばん面白いのは、なんでそうなっているのかさっぱりわからないけど、その物語に引き込まれている私の立ち位置。
 卑太郎さんの無意識というか、勢いに飲み込まれていく感じが好きだ。

 他にも荷車を引く怪しい女が出てくる短編小説が連なっていたりして、その花をたくさん荷車に載せて引いていく女の小説を読むと、藤井風の「花」というPVをスコシ連想する私( ´艸`)

 ここまでが前置き。

 そう、私はその日、自分のことを「ツユねき」だな、と思ったのだ。

 草の生え過ぎた川べり。歩くのもためらわれるブタクサの花粉だらけの穂が見える( ´艸`)雑草すごすぎるわ!
 そしてそんな頃、草刈が始まるのである。

 今まで、何度、草として刈られた紫露草を拾っただろうか。
 
 草刈の広範な場所を見ていると、とても、これは、花の株だから残して置こうというような悠長なことはやっていられないに違いない。

 そんなことをしていたら、草刈はいつまでも終わらない。
 
 それは、よくわかる。
 しかし、今、咲いたばかりの花が可哀想すぎて。

 両手で抱えれる最大の量の紫露草を持ち帰って、職場に飾ったこともある。

 今年も、草刈の場所が、徐々に、私の大好きな紫露草の生えている場所に近づいてきた。私はハサミを持って散歩に出かけ、目についた紫露草を刈り取った。
 とても、全てを救うことは出来ない。

 こうやって、紫露草を救う自分が神であると仮定しよう。

 なぜ、神は紫露草しか、お救いにならないのか?
 他の草花は、考えるに違いない。
 そして、当の紫露草でさえ、花の咲いているものは助けて、花の咲いていない地味な個体は助けないと考えるに違いない。

 イタドリが刈られるのは小気味よいけれど
 紫露草が刈られるのは嫌。

 神様のえこひいきだ。

 でも、ふと考えてみた。
 小林正観さんの本によると、
 神様は外見が美しい人がスキ。
 もちろん、イケメンや美女がまっさきにひいきされていくだろうが、自分を磨く人のことも好きなのではないか?
 外見がそれほどでもなくても、心が美しい人もスキらしい。
 美人、イケメンでなくても、ひたすら、心を磨くと言う方法もある。
 なんか、心の方が難しそうだけど。

 ある時、私は桜のような人間になりたいと思ったことがある。
 それは、春に咲く桜が素晴らしく素敵で美しいからであるが、桜のように自分が咲く時期をわかってほんとうに美しく咲く人間になってみたいと憧れたのである。


藤井風に似た木も本来は桜( ´艸`)


 そのことを思い出してみると、
 やはり、今日の自分のように、神様はスコシ、えこひいきして、
 花のように自分をありのまま出して美しく咲いている人間から、助けるのではないか?と思ってしまった。
 私の手は二本しかなくて持てる、助けられる花は限られている。
 神様はもしかして千手観音だったりして、めっちゃ手が多いからすべて助けられるのかもしれない。しかし、それでも持てない、救えない命はあるかもしれない。きっと、美しく、咲いている花から助ける。

 なんだか、そんなことを考えた。


毎朝、咲き誇る、かわゆい紫露草

 自分が救った紫露草たちは、まあ、たった1~2週間命が伸びただけかもしれない。花瓶の中でいずれ枯れていく。
 それでも彼女たちは、麗しく、毎日、これでもか!と咲いている。
 よかったなあ、少しでも私が救って。
 と思うのだ。

 しかも、この部分って、種かもと窓から捨てられた彼らは、私の家の庭に、しっかり根付いた。

 やったー!!!

 彼らの命を繋げて、活かすことが出来たのである。


裏庭に咲いてくれてる紫露草


 だから、私は、ムラサキツユクサを助けた姉貴で、ツユねきだと、思ったのだ。スマホを持った若者がいたら動画に取られて拡散されたかもしれない。

 しかし、そんな早朝は、犬の散歩者と、年配の方々しか歩いてない( ´艸`)

 私の動画を撮って拡散している若者は誰も居ませんでした。

#なんのはなしですか




以下、紫露草や植物全般に関する過去記事。

植物に妖精がいるって、皆さん、ご存じでしょうか?

この魔法、是非、お使い下さい( ´艸`) 👇