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※この作品はフィクションです 私が三十八歳のときに、夫は三十九歳で他界した。 夫の遺品を整理している最中、免許証を見て、その本籍地が香川県の佐柳(さなぎ)という場所であることを思い出した。夫の父は佐柳島という瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身らしい。横浜生まれで横浜育ちの夫も、その父と同じく本籍地はだけは佐柳島になっているらしかった。 一周忌が終わった後で、私はその佐柳島へ行くことにした。夫の父親も若い頃に島を出ているわけだし、本籍地の住所に行っても何も無いことはわか
noteを書くようになってしみじみ感じているのは、たいていの人との人間観の違いだ。 わたしは人間性の奥にはとんでもないものがあると思っている。 それは、端的に言って、わたしが自分の人間性の奥にとんでもないものを仕舞い込んでいるからだ。 そのとんでもないものが人間の人間性だと思うのは、それが自分には確実にあるからだというふうに循環するのだが、もし、たいていの人にそういうものが無いのなら、それを人間性と呼ぶのは単にわたしの思い違いかもしれない。 けれども、とんでもな
ある日。家のネコたちが2匹、いなくなりました。黒茶のキジトラ猫。黒白毛の猫。ネコたちの写真を眺めて、いなくなった日のことを思い返します。 迷いネコを探す知らせ紙を作って、家の同心円状の500m範囲に配り歩きました。4箇月のあいだ、そうしながら様子をみたけれど、ネコたちは見つかりませんでした。知らせ紙は、3回、配りました。保健所や清掃局にも、届けはありませんでした。 家から100mと少し行ったところに、昔馴染みの小母ちゃんがクリーニング店をしています。クリーニング店は、地域
わたしは人間としてまったくダメな人間だ。 これは辛い。人生は失敗の連続だった。もう歳だから、挽回のしようがない。 妻に慰めてもらはうと思って 「ぼくの人生は失敗だった」と言ふと 「さうね」 とあっさり肯定する。 そのままではあまりに寂しいので、なんとか少しでもウソでもいいから「そんなことはないでせう」と言ってもらふために、 「誰にも好かれない。一人も友達がゐない」 と言ってみた。 すぐに、 「さうね、ゐないわね、友達」 と返答された。 さうだった。わたしには、友達
男女の双子を産んでしばらくの間、白い犬と共に神社から少し離れたところに暮らした。 路地(大阪ではろぉじと発音する)のドンツキ(行き止まり)にある家で、路地では小さな子らがゴム段をしたり、地面に白墨で何やら書いて、独創的なルールの遊びを展開したりしている。集落のすぐ横には田んぼがあり、近くにはザリガニがいる池もあった。 そんなところへ年季の入った犬小屋と白い雑種犬と、赤ん坊の双子と共に入っていったので、私たちはすぐにご近所の子供たちに受け入れられた。 あるとき、近所の5歳