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公園日記1/1-1/3

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公園二日目。
Bon Iverを聴いていた後におすすめで流れてきたNovo AmorがBon Iverにしか聴こえない。「Decimal」という曲を聴きながら「光の中に立つあなたへ」を書いた。歌詞の意味がわからなくても音楽が呼び水になり詩が生まれてゆく。日暮里駅の天井から降る光がすきだ。ひととき席をお借りして流れてくる人の中、詩を印刷する準備をする。
昨晩はりきって朗読していたので喉がかさかさするけれど、朗読の後はしばらく声を出すのがたのしい。耳が自分の声に向かってひらかれていて、いつもと違う聞こえ方がする。
人もまばらな谷中。自分へ珈琲を淹れる。お客さんはぽつぽつ。午後はよく晴れていたのでうとうと。
外は元旦。というより、公園は元旦の外にあるような気がした。これはただのある冬の日。お客さんへ「あけましておめでとうございます」とあいさつをしながらもここは公園なのだから「ごきげんよう」でいいような気がしていた。
最後のお客さんが帰られた後、公園をぶらぶらするツアーをインスタグラムで配信する。隣家の物音なのか屋根裏に何か生き物いるのかがさがさ音がしていて、怯えながら2階へ上がっていくという何か別の実況配信になってしまって笑う。見ていた方失礼しました。。

振り返って書いているのであれですが、今年の抱負として掲げた「丁寧に走る」は自分の口からの言葉で言い換えると「ダサい頑張り方をしない」です。ダサいって言葉を普段あまり使わないんだけれど、下半期の自分の頑張り方はなかなかにダサかった。務め仕事2つしているからだとか無事に届いたからいいじゃないかとか落とし所はあると思うけれど、もっと丁寧にできた物も事もたくさんあった。自戒を込めて年末に仕事を1つ辞めた。下半期に体得できたのは時間の引き伸ばし方と間に合うように自分を走らせる方法。このことについてもまた思い立ったら書きます。

公園の後は家主と日高屋でおせちを食べる。
帰ってからお茶を飲んだりした後そのまま寝てしまう。ワンピースのまま布団の中で丸まりながら、公園日記を書こうと思いつく。


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公園三日目。
なぜかぼんやりとさびしい気持ちで目が覚めた。
今朝の谷中はお墓参りに訪れた人が多いのかコンビニの軒先の花屋が忙しそうだ。元旦よりいくらか人がいらしてくださった。
公園の期間中、お給仕することがほんとうにたのしくて、うれしくて、全然制作に時間を割けなかった。ふるまいの範囲で、珈琲、チャイ、ココア、ハーブティー、おさゆなど、自分が持っていたお茶たちを総動員して淹れさせていただいていました。(ココアだけ東京で買い足しました。公園にあったらうれしい気がして)冬の日、寒い道を歩いてきたあなたへあたたかい飲み物をお出しすること、自分が詩の中でしたかったことを体現できる機会をいただいたうれしさに張り切っておりました。紙の上で「あたたかいお茶」を書いても書いても、あなたの手指や内蔵をあたためることはできない。できないからやっぱりこんな風に会いたいと願ってしまう。

この日もらった「光の運び屋」「いい魔女」という言葉をブローチのように胸に留める。運んでいる光は決して「いいもの」という驕りを持たないこと。光はいい悪いの定規で測るものではない。いい魔女は魔法を使うことを惜しむだろうか。惜しまないだろうか。

夜は西日暮里の王将でたらふく食べる。日高屋はわたしにとって東京の王将には成り得ませんでした…。久々に飲んだビールが美味しくて美味しくてびっくりした。東京にいると、わたしという「点」が浮かび上がって感じられる。無数の点の中のひとつの点だけれど、東京という画の中にいることで点で在ることがありありとする。ずっしりして眠る。


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公園四日目。
朝は元気に目覚める。初夢は窓の外からきれいな音が聞こえてくる夢。すごく長い距離のあるドアチャイムみたいなものを、誰かが次々に鳴らしながら窓の外を歩いている。
この日はたくさんのお客さんがお越しになられて、最もお給仕にいそがしい日だった。人数制限でお待ちいただくこともあり、公園がこんな風ににぎわうとは全く予想していなかったのでびっくりした。公園では「ごゆっくりおすごしください」という声かけをこれからもどんなときでもしたいから、何か考えないといけないんだろうなあ。この声かけは書店員として棚の前にいるお客様の元を去るときにする声かけと同じだったりします。自分にとってひとつの祈りの言葉。

展示していた詩は2019年から2022年に書いたものと2023年に東京で書いたもので構成されていて、どれもまだ本のかたちにはなっていない。詩の合評会や「星渡りの便り」に向けて書いていたものが多く、それらが終わった後に個展は二回しているけれどどちらも新作で新刊を作り売り切っているので(『目をとじて ひらく』は今度の沖縄での巡回展のときに極少部数ですが販売あります!)、本のかたちにするタイミングを逃し続けている。今現在、詩で取り組もうとしているテーマとはまた異なる作品なので本のかたちにすることを考えてもいなかったけれど、公園で読んでもらいたい詩として自然に選んでいたことや読んでくださったお客さんからいただいた声を受けて、すこし考えてみようと思っています。一番に完売した『観光記』の第二章も、今年こそ。

夜には友だちとごはんへ。夜の新宿駅周辺、目に映るもの、人、人、強い。この夜、自分がこれまで人に話せなかった悔しさを初めて言葉にできた。それを聞いてくれてとてもうれしく有り難かった。ビールがとてつもなく美味しくてびっくりした。お互いの現実と心の柱のようなものを言葉で交わせたことは身近な人に話したくなるくらいおおきな出来事だったけれど、ここまで話せなかったことを勢いだけで話せるわけもなく、今日初めてここに書く。生きて運ばれていくことへの納得と抵抗を、わたしは言葉にできるだろうか。選ぶことをやめた先に訪れたものを、あなたもまた言葉にできないままでいるのだろうか。床で寝かけていたところを家主にたしなめられ、ちゃんと布団で眠る。




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