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公園日記12/31

トタンの鍵を開けたらまず挨拶をする。搬入のときは名を名乗って挨拶をした。
ひとりめのお客さんが来たときなんだか救われる思いだった。うれしくてたくさん話しかけてしまいました。
友だち(とても久しぶりにお会いしたはずなのにあんまりそんな感じがしなかった。思えば彼女が公園にいるときの空気はよりいっそう公園という感じがした。ふしぎ。お会いできてとにかくうれしかった!)、はじめて会う人、詩をお届けさせていただいたことがある人、公園にてめくるめく出会い。この日はひとりめのお客さんが来た後は誰もいない時間がなかったような気がする。みんな長居してくれてうれしかった。外は大晦日。お見送りのときは「よいお年を」と交わし合う。わたしはこのあいさつがとてもすき。胸いっぱいで、ツイートでうれしいを連発していた。うれしい。うれしい。こんなにうれしい大晦日は初めてだった。

公園は安心な空間だった。
ノートにもそんなご感想をいくつかいただいた。どんな人でも公園に居ることができる、それゆえわたしひとりでは安心を守ることができないような事態が起きてもおかしくはない。その表裏一体の事実が最も切迫している日は大晦日だとわたしは思っていた。実際は何も起きなかった。自分がただここにいるだけでは出会えない人がいるということがよくわかった。みんなってどこまでだろう、わたしたちって、どこまでだろう。そうした漠然とした問の答え合わせとして今日のような日がある。いろんな感情がよぎってゆくけれど、こうした事実があるからこそたくさん公園が必要なのだ。たとえばあなたが作ればまたそこに集うひとは異なり、わたしひとりでやるときよりわずかに「みんな」に届くのだろう。この星にあってほしいものを作るのをやめたりしない。きれいごとを言い続けるひとが生きてゆける星であってほしい。
わたし自身が見えざる何かに守られていることがよくわかった日でもあった。安心な公園をありがとう。とってもうれしい大晦日という贈り物を、ありがとう。

公園の後はそば難民として下宿先の家主とさまよっていた。辿り着いたそば屋さんであたたかいそばを食べる。五臓六腑に染み渡るおいしさ。おそばを食べさせてくれたおそば屋さん、ありがとう。あなたは大晦日の天使。人も車もいない東京。意味もなく車道の真ん中に飛び出したくなる。雪舟さんの短歌を思い出していた。(「雪舟えま アスリート」で検索すると出てくる歌)、この日はよく救急車のサイレンを聞く。東京だからなのか、大晦日だからなのかわからない。帰りにケーキを買ってもらった。五臓六腑に染み渡るおいしさ。あなたもまた大晦日の天使。
年が明けて、3時くらいまで家主と配信で朗読をしていた。
大晦日、たのしかったなあ。ずっとこうしたらよかったんだなとわかった気がした。



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